約 477,236 件
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/440.html
「これ、嫌いなんだけどな」 少し残念そうな言葉を漏らす女性は、我らがヴァリエール嬢。 朝食にしては豪華な料理が並んでいるが、今日のメニューは少し物足りないようだ。 ここ、トリスティン魔法学院は食事のマナーにも厳しい、が、貴族の食事は社交も兼ねることが多いため、大声で雑談しなければ特に注意されることもない。 今までは誰とも会話せず食事を進めていたが、最近ではキュルケやタバサ、モンモランシーと会話することも多い。 キュルケを見ると、既に食べ終わっている。 朝から食欲旺盛なキュルケを見て、食べた肉が腹でなく胸に行くのは何故だろうと考え、世の不公平を感じた。 しかし、キュルケと行動を共にすることの多いタバサは、ルイズよりも小柄で、胸もぺったんこ。 胸ではかろうじて勝っているルイズだが、彼女はキュルケと同程度かそれ以上の魔法の使い手だ、どっちにしろ魔法では勝てない。 食事があらかた終われば、デザートが配られる。デザートを配りに来るのは厨房付きのメイドシエスタと他数名の役目。 シエスタは平民だが、ルイズにとっては気の許せる友達でもある。 しかし、胸の大きさは明らかにルイズよりも大きく、これに関しては憎い相手であった。「ヴァリエール、ちゃんと食べないと背どころか胸も小さいままよ?フフン」 キュルケにとっては軽い冗談だったが、その言葉を聞いたルイズとタバサは意を決して苦手な料理に手を出すのだった。 しばらくしてメイド達はデザートを配り始めた。 いつものようにシエスタがルイズの右隣に立ち、ケーキの乗った皿を慣れた手つきでテーブルの上に置く…はずだったが、今回は珍しく別のメイドがデザートを置いた。 いつもいつも同じ列ばかりを担当できないのだろう、と思ったが、あたりを見渡すとシエスタの姿だけが無い。 厨房内の仕事でもしているのだろう、と思いながら、ルイズはデザートに手をのばした。 まもなく食事の終わりを告げる鐘が鳴り、生徒たちは食堂から出て行ったが、ルイズは考え事をしているのか、席に座ったままだった。 「ヴァリエール、何してるのよ。まだ食べ足りないの?」 モンモランシーの言葉に促され、ルイズは腑に落ちないものを感じつつも、席を立ち食堂を出て行った。 そんなルイズを、料理長のマルトーが、何か思い詰めたような表情で見ていた。 午前中の授業が終わり昼食の時間。 朝に続き、昼にもシエスタが顔を見せないの この学院で過ごしている生徒達の大半は、貴族だけあって人の顔をよく覚えている。 しかし、平民のメイドが一人いなくなったからといって、気にすることはない。 『ゼロのルイズ』とあだ名されるほど魔法が苦手な彼女は、そのコンプレックスから負けん気が強く、貴族の権力を傘にして威張り散らすこともあった。 シエスタを助けてから…いや、正確には奇妙な夢を見るようになってからだが、ルイズは『素の自分を見せることが出来る友達』の大切さを自覚し、シエスタをはじめとする平民に目を向けるようになったのだ。 昼食も終わり、午後の授業が始まる。そして午後の授業を終え、夕食の時間が来た。 タバサの指摘を受けて、ようやくルイズは異変に気づく。 食前のお祈りを唱和した時、タバサはルイズの隣で一言「給仕口」と告げたのだ。 ルイズが給仕口を見ると、マルトーと目があった。 それに気づいたのか、マルトーはそそくさと厨房へと隠れてしまった。 その日の夜、明かり一つない食堂のテーブルクロスがもぞもぞと動き、ルイズが顔を出した。 ルイズは鍵を開ける魔法を使えない。爆発を起こさず厨房に忍び込むため、食堂にじっと隠れていたのだ。 給仕口から厨房に行くと、そこには小さなランプが灯されており、その下でマルトーがじっと誰かを待っているようだった。 シエスタなら今のマルトーに、まるで覇気がないと気づいただろう。 「…何か用?」 「 ! …あ、貴族様でしたか。こんな夜更けに、厨房に何か」 「何言ってるのよ。じーっと見られてたら何かあると思うじゃない。今日はシエスタも顔を見せないし。私に用があるんでしょ」 「………」 しばらくの沈黙の後、マルトーは話し始めた。 「昨日学院を視察に来られた、貴族のお方なんですがね…。その貴族様が、シエスタをたいそう気に入ったらしいんでさ。」 ルイズは思わず唾を飲み込んだ。いやな予感がするせいか、少し眠気の混じっていた頭が急速に覚醒していくのが分かった。 「今朝、シエスタは連れて行かれました。『昨日はこの平民が貴族に無礼を働いた』とか言われましてね。頭が真っ白になりましたよ。昨日はさんざん褒めて、今日になったら反逆者扱い。何だってんだ!」 マルトーの拳が、ドン!と、厨房のテーブルを響かせた。 「貴族様ってのは何なんですかい!?シエスタが何をしたって言うんですか!俺は、俺は女衒じゃない!」 マルトーはテーブルの上に置かれた小さな袋を壁に投げつけた。ガシャン、という音ともに散らばったのか、10枚ほどの金貨だった。 「貴族様、ヴァリエール様!何とか出来ねえんですか!シエスタは、連れて行かれた時、ルイズ様には言わないでくれと言ったんでさ。ですがね、泣きながらそんなことを言われたら、黙ってられるわけが無いじゃありませんか!」 ルイズは、怒りと悲しみの混ざったマルトーの声に、不思議な感覚を覚えた。 怒りが一巡して、恐ろしいほど体が冷めていく気がする。 昨日視察に来た貴族は、魔法学院その他の、国の重要機関を監査する立場の貴族だ。 本当の事かどうか分からないが、平民の少女だけを集め、ハーレムを作っているという噂を聞いたことがある。 しかし、思い返してみれば、自分の姉も母も、その貴族を毛嫌いしていた。 おそらく事実なのだろう。 考えてみれば、今日はオールド・オスマンが王宮に呼ばれ、学院にいない。 その隙をねらってシエスタが連れて行かれた。 「…オールド・オスマンがお帰りになられたら、すぐにその話を伝えて」 そう告げると、ルイズは使用人通路の鍵を開けさせて、一目散にシエスタを連れ去った貴族の別荘へと走っていった。 マルトーは、シエスタの言う『おともだち』のルイズを今ひとつ信用しきれていない。 だが、ルイズ以外にこんな話が出来る相手もいなかったのだ。 ルイズは地面を『蹴り』瞬く前に空高く、そして遠くへと跳躍していった。 その姿を見たマルトーは『ゼロ』と呼ばれるメイジでも、空を飛ぶことは出来るのかと、素直に感心していた。 前へ 目次 次へ
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/1007.html
フーケが破壊の杖を置いて行ったであろう場所は、時を置かず発見できた。 煌々と月明かりが大地を照らすハルケギニアでは、よほどの暗がりでもない限り明かりを用意せずとも光度は問題が無い。 ひとまず用心には用心を重ねようと、シルフィードを離れた場所に着地させ、ハーミットパープルで周囲に怪しい反応がないかも確認する。 だが三人の警戒を無駄にするかのように、ハーミットパープルのレーダーには何も反応を示すことは無かった。 「……ここまでされると本当に何もなかった時がバカみたいじゃの」 「確かにこんなに早く追跡されるだなんて考える方がおかしいんだけど。無用心だわね」 「逆に言えば、裏をかいたという事。今が奪還のチャンス」 そうと決まれば、まだシルフィードの背中ですやすやと寝息を立てているルイズも起こさなければならない。 ジョセフは波紋を練ると、太陽の光のように柔らかく光る両手をルイズの背に当てた。 人間は睡眠に落ちる際に自らの体温を低下させ、目覚めるに従って体温を上昇させる。寝起きが悪いのは体温の調整がうまく出来ないのも一因である。 それに体温が上昇すれば自然と寝苦しくなって―― 「ううっ……あ、暑い……」 ルイズの寝起きの悪さをよく知っているキュルケが驚くほどの早さで、ルイズは覚醒した。 「波紋って色んな使い方があるのねー。私も真剣に覚えてみようかしら」 普段の口調とは違い、かなり真剣に波紋の習得を検討するキュルケにルイズが噛み付くのを適当に宥めつつ、手短に事情を説明してから破壊の杖のある場所へ歩いていく。 そこは森の中でもやや開けた草むらで、その中央には随分と年季の入ったボロボロな小屋が一軒建っていた。 「地図から見るとあっこに破壊の杖があるようじゃな」 ハーミットパープルを使うまでも無く、周囲に人気が無いことは丸分かりである。 とは言え、それでもいざという時に備えて、外に見張りを立てた上で中に入ろうという計画が立てられる。 四人で相談した結果、キュルケとタバサが外で待機し、ジョセフとルイズが小屋に入るということで一応の決着を見た。 ルイズの前に立ち、身を屈めながらも心持ち早足に小屋へ接近すると、扉を押し開けて中へ入る二人。 ジョセフが波紋を全身に回せば、ほのかな光が小屋の中を照らす。 誰もいないと判っているはずなのに、ルイズは懸命に伸ばした腕の先で必死に杖を構えている。 杖の先が緊張を恐怖を如実に表わして震えているのが、ジョセフの苦笑を誘う。 「こらこら。見ての通り誰もおらんじゃろ? 気楽にしとけ気楽に」 「わわわわかんないじゃない、だだだ誰かいたらどうすんのよ!」 年頃の少女にとってはこのような状況が怖くないはずもないし、現にルイズはありもしない敵の幻影に警戒しすぎていた。 その気持ちはわからなくもないので、ジョセフはとりあえずルイズの手を握る。 「な……何するのよっ。勝手にご主人様の手握ってんじゃないわよっ」 目元を赤らめながら顔を背けるルイズだが、それでも無理に手を離そうとはしない。 「まあまあ。この哀れな使い魔めにご主人様の手を握る栄誉をお与えくだされ」 何かを言おうとしたルイズだが、結局しばらく口をパクパクさせた後で頷くだけだった。 とりあえず片手は繋いだまま、ハーミットパープルを発動させる。 手に持った宝物庫の欠片を媒介とした紫の茨は、すぐさまある一点に奔り、一抱えもある高価そうなケースに絡みつく。 「これが破壊の杖か?」 ひとまずケースを開けて確認すれば、その中身にジョセフは思わず驚きを露にした。 「……コイツが破壊の杖じゃと? どういうこっちゃ」 M72ロケットランチャー。映画や雑誌などで目にしたことはあるが、さすがのジョセフも実物を触るのは初めてのことである。 「それが何か知ってるの?」 「ああ。こいつぁ……わしの世界の兵器じゃぞ。なんでこんなモンが……」 手にとって使えるかどうか確認しようとロケットランチャーに触れたジョセフの左手が、今度こそ存在を強く主張するかのように手袋の中で眩く光る。 それと同時に、正確には知らないロケットランチャーの使い方が頭の中に『浮かんで』きた。 その感覚はデルフリンガーを掴んだ時にもあった感覚だが、その時に左手から漏れる光を感じたのはフーケとの交戦時もあわせて、今夜が二回目である。 やっと手袋を脱いで確認すれば、義手に刻まれたルーンが眩いほどの光を放っていた。 「……こいつぁ一体、なんなんじゃ……」 その答えはまだ誰からも提示されていない。ルーンを刻んだ張本人ともいえるルイズも、訝しげな顔をして光っているルーンを見ているだけだ。 「のうルイズや。一体わしに何が起こっとるんか判るかの」 「……えーと、ごめん。私にも何が何だか」 魔法が使えないだけで、様々な知識は豊富なルイズにも判らないとなれば、もはやお手上げとしか言う他はない。 得体の知れない力、という点で言えば生まれ持った波紋や、突然ある日発現したスタンドもあるので、さして不安材料にもならないのだが。 「とりあえずルイズや。こいつぁこっちの世界の人間にゃ使い方が判らんモンじゃからの。ひとまずこいつはわしが持っておく」 断りを入れて、背中にロケットランチャーを背負ってから、改めて狭い小屋の中を見渡す。ここをアジトと呼ぶには、あまりにも生活感の無さが目立ってしょうがない。 「うむ、となるともうここに用はありゃせん。出るぞ、ルイズ」 ルイズと共に小屋を出て、外で所在無さげに待機している二人と合流し、これからの行動を相談することにした。 「えーとじゃな、フーケは今この辺りにおるな。どうやら来た道をトンボ返りしとる」 「まさかまた学院に盗みに行く気かしら? それはそれで気合入ってるわね」 「破壊の杖が目的ではなく、学院を愚弄するのが目的とも考えられる」 「どっちにしたって、私達がバカにされたのは事実だわ! とっ捕まえてギャフンと言わせなきゃ気が済まないわ!」 約一名、バカにされたと憤っている少女が『フーケをとっ捕まえてギャフンと言わせる』のを強硬に主張する。 「んーまあそうじゃな。破壊の杖は取り戻しましたがフーケは逃しました、じゃ画竜点睛を欠くのもいいところじゃしな」 「そうそう。取られたものを取り返しただけじゃ、何の解決にもなってないわ。悪いネズミちゃんは捕まえて懲らしめてあげないとならないものね?」 「今から追跡を再開すれば夜明けまでに追いつく」 「そうとなれば善は急げだわ! さあみんな、フーケを捕まえに行くわよ!」 約一名、ここまであまり役に立っていない少女が意気揚々とシルフィードが待っている場所へと歩き出すが、約二名は苦笑混じりに、残り一名は感情を伺わせない顔をしながら彼女の後ろをついていく。 再びシルフィードが風を捕らえて空に飛んだ時には、ルイズも眠気を訴えるようなことはせずにバスケット一杯のイチゴを食べて目を見開いていた。 「覚えてなさいよフーケ……追いついたらギッタギタのメッタメタにしてやるわ!」 どこぞのガキ大将のような事を言うもんじゃのう、と苦笑するジョセフ。 それから程無くして、地図の上の金貨は小石に追いつこうとしていた。 「よしよし。もうそろそろフーケめに追いつくのう。さてここでわしは挟み撃ちの形を提案したい。四人全員でシルフィードに乗って追いかけても効率が悪いからの」 そこからジョセフは、シルフィードに乗ったまま追跡するグループと、フライで追跡するグループに分かれての攻撃を提案する。 スピードに勝るシルフィード組がフーケの進路に先回りしてフーケの移動を阻害しつつ、自由度に勝るフライ組がフーケを追い詰めるという作戦である。 その作戦自体には誰も異論を挟まない。だがその組分けに強固に反対する少女が一人いた。我らがゼロのルイズである。 シルフィード組とフライ組に分かれるということは、シルフィードを操るタバサは自動的にシルフィード組に回ることになる。 必然的にフライを使える残り一名であるキュルケはフライ組に回る。となると、ジョセフとルイズは別の組に回ることになる。 「ダメよダメよ! ツェルプストーの色情魔とジョセフを一緒にするのは反対!」 「じゃがのう。わしがシルフィードに乗っててもわしは何も出来んぞ。わしがキュルケに連れてってもらって、遊撃した方が戦力的にはちょうどいいんじゃぞ。 わしらじゃシルフィードを満足に操れるかどうか怪しいしな」 それからもしばらく駄々をこねていたルイズだったが、月明かりの下に馬を走らせている、宝物庫襲撃の時と同じローブ姿のフーケが見えるに至り、渋々ジョセフの案を承認した。 「ああん、こんなにダーリンと密着できるだなんてぇ。ダーリンのたくましい身体がス・テ・キ☆」 「アンタ、今からフーケをブッちめるってことを忘れてるんじゃないでしょうね!」 この期に及んでルイズをからかうことは忘れないキュルケと、挑発にいちいち乗るルイズ。 「ほらほら二人とも、そろそろ時間じゃぞ。気ぃ引き締めていかにゃならんぞ」 シルフィードの影でフーケに気取られることのないように距離に気をつけつつ。やがて街道が林の中を通ろうとする段階で、キュルケはジョセフを背負ったままフライの魔法で大空に飛び出し、地表近くの高度を維持してフーケ追跡行に入る。 それを見届けたシルフィードが、一気に加速し、林の木々にぶつからない高度を飛ぶことでフーケの頭上に影を落とす。 フーケは当然時ならぬ影に視線を上げ、頭上にいる風竜が前に回り込もうとしていることに気付き、速度を落としつつ街道を離れようとする。 しかし道の左右は林、夜の道を馬で走ることは非常に難しい。 馬を捨てて林の中を逃げるべきか、それともUターンして来た道を戻るか逡巡したところで、背後から猛スピードで追跡する一つの飛行物体が一気に距離を詰めてくる―― 「追いついたぞフーケッ!!」 キュルケに背負われたジョセフが、左手にデルフリンガー、右手にハーミットパープル、全身に波紋の光を構えて突進してくる! フーケはいちかばちか馬のまま林の中へ入ろうとしつつ、突っ込んでくる二人目掛けて魔法を唱えようとした、が…… 「行ってらっしゃいダーリンッ!!」 キュルケはフライで出せる最大限のスピードを維持したまま、ジョセフはキュルケの背を蹴って跳躍する! 加速したスピードのまま空を飛ぶジョセフは、ハーミットパープルを木の枝に巻きつけて速度を殺しつつも、なおもハーミットパープルをロープ代わりに林の木々を飛んでフーケへ急速接近していく! 「なッ!?」 予想外の行動に、ジョセフに一瞬気を取られてしまったフーケ。 「どこ見てんのよッ!!」 その一瞬の隙が、まだフライを解除していないキュルケの接近を許す結果となる! 全身に風を纏ったまま、ありったけのスピードで空を駆けるキュルケのタックルは、質量と速度が重なることで高い攻撃力を持つに至る。 「ぐはッ!?」 メイジと言えども、不意打ちを食らえばただの人間である。 キュルケのタックルをモロに食らったフーケは馬から落ち、地面に叩き落される。 だがフーケは地面に叩きつけられてなお、降参するどころかなおも抗う意思を示そうと、懐から素早く杖を取り出して呪文を詠唱していく! 「我が下僕達よ!!」 素早い詠唱で完成させた呪文は『錬金』。 ひとまずフーケは自分を囲むように三体のゴーレムを作り上げたが、素早く完成させるだけが取り得の『錬金』で完成したゴーレムは、30メイルのような大掛かりなものではなく、2メイルにも満たない土人形でしかない。 それでも腕力は普通の人間を大きく上回るだろうが、如何せんキュルケとジョセフの前では時間稼ぎ以外の何者でもなかった。 「ハーミットウェブッ!」 「ファイアーボールッ!」 頭上から奔る紫の茨と、正面から放たれる火の塊を防ぐだけで、一体はたっぷり波紋を流され爆散し、もう一体は火球を受け止め燃え尽きていく。 主人を守る為だけにその身を差し出したゴーレムだが、二人はなおも攻撃の手を休めようとせず追い討ちをかけてくる。 「くッ……調子に乗ってんじゃないよッ!」 しかしフーケも、キュルケのタックルを受けて落馬しながらも二人を相手取って戦闘を行おうとする時点で、今まで重ねてきた経験をここぞとばかりに発揮していた。 次に完成させた呪文は錬金ではなく、直前までゴーレムだった土塊を周囲に拡散させる『砂嵐』。 それで僅かにも二人の動きと視界を奪いつつ、意外と俊敏な動きで茂みに飛び込んだ! そしてシルフィード組のタバサとルイズが、シルフィードから降りてその現場に遅ればせながらやってくる次第だ、が。ルイズの不機嫌メーターは非常に危険な水域を示していた。 (何よ何よッ! デレデレしちゃって! 私だってフライさえ使えたら……!) 今頃、あそこで勇ましくフーケと戦っているのは自分のはずだったのだ。 それがあのにっくきキュルケというのがどうにも気に食わない。 今夜はタバサにメイドにジョセフがデレデレしてたのも気に食わないのに(ルイズ視点ではジョセフはタバサとシエスタにデレデレしているようにしか見えなかった)、それだけでは足りないと、よりにもよってあのキュルケとまで! 「このッ……アンタが来なかったらぁ!!」 今にも爆発しそうな(理不尽な)怒りをこらえつつ、茂みに飛び込んだフーケ目掛けて魔法を連発する! だがそれは残念ながら、フーケに利する行為となってしまった。 「ぬぅッ!?」 「きゃっ!? 危ないじゃないルイズッ!」 ルイズの失敗魔法が炸裂したのは、一瞬前までフーケがいた地点でしかなく、そしてそれはジョセフとキュルケからフーケの姿を見失わせ、二人の追撃の足まで止めてしまった。 その絶好のチャンスを指を咥えて見逃すはずも無いフーケは、林の中に微かに差し込む月明かりを頼りに決死の逃走を図る! ここでフーケと追跡者達の現状の差が如実に出た。 数と優位さで勝るジョセフ達に対し、一人しかおらず手負いとなったフーケ。彼女がとる行動は当然、命懸けでその場を離脱して状況を立て直すしかない。 仲間達が行動を共にするジョセフ達に対し、フーケが頼れるのは自分自身しかいない。余裕をもたらした弛緩と、決死の覚悟の差は、フーケの逃走を見事に成功させていた。 「いかんッ……ヤツを見失ったか!」 ハーミットパープルを伸ばし、なおも追跡を続行するジョセフ。 「何してんのよルイズッ! ああもうッ、なんてこと……!」 ルイズをからかう余裕さえ見せず、フーケの逃げた場所に照明弾代わりに火の塊を飛ばし、フーケの逃げた方向を注視するキュルケ。あと一歩のところまでフーケを追い詰めたというのに、それを逃した二人の失望はありありと横顔に出ていた。 ジョセフはともかく、キュルケが自分をからかいさえしないという事実は、ルイズの心を叱責するのには効果抜群だった。 (なっ……何よ! そんな反応するなんてっ……!) ルイズにとって予想外の反応を示されたばかりか、叱る時間も勿体無いとばかりにフーケに注意を傾ける仲間達。 ジョセフはハーミットパープルを伸ばし、直にフーケを追跡する。キュルケは照明代わりに火を飛ばし、隠れる闇を消していく。タバサは風を集めることで音を自分に集め、林の中を逃げるフーケがどこに向かおうとしているのかを感知しようとする。 だがルイズには何も出来ない。 魔法を使おうにも爆発するだけの魔法では、タバサの邪魔まですることになる。 フーケを追う意思だけは他の仲間よりも強いルイズは、意志の強さに反するように、何も追跡に役立つ手段を持ち合わせていなかった。 ――そして、フーケは反撃の体勢を整えた。 林の木々を飲み込みながら、巨大なゴーレムが立ち上がる。 それはジョセフ達を翻弄し、嘲笑ったものと同じ。 30メイルの巨人が、再びジョセフ達の前に立ちふさがる――! To Be Contined →
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/2191.html
巨大な翼で空を我が物と舞う風竜とグリフォン。 風竜シルフィードの背に乗るルイズは、グリフォンを駆るワルドと再度の対峙を果たす。 最初に視認した時は豆粒程度にしか見えなかった幻獣は、見る見るうちにその姿が見えてくる。 すぐさまグリフォンの背に乗る男の顔が見えた時、ルイズは辛そうに男の名を呼んだ。 「……ワルド……」 ルイズは既に理解している。 彼女の憧れの人はもう自分の前には帰ってこないのだと。 あれは優しい子爵と姿形が同じなだけの、薄汚れた裏切り者。勇気溢れる皇太子を暗殺しようとし、大切な使い魔のジョセフを傷付けたおぞましい存在。 それだけではない。ジョセフの視界を通して見たものは、彼が既に健全な人間でないことすらありありと示していた。どこの人間が、腕を吹き飛ばされて数秒も経たないうちに腕を生やすことができるのか。 あの悪名高いエルフだとて、その様に怪奇な生態を持つとは聞いた事が無い。 倒さなければならない。 名誉あるグリフォン隊の隊長でありながら、始祖ブリミルの末裔である三王家の一つ、アルビオン王家を恐れ多くも薄汚い刃で打ち倒したレコン・キスタの走狗に成り下がった彼を。トリステイン王家に仕えるヴァリエール公爵家の三女として、討伐しなければならない。 判っている。判っている。 だが、心が縮こまっている。 今、この空の中でワルドと戦えるのは自分一人。 フーケと戦った時はタバサも、キュルケも……ジョセフも、いた。 だが、今は自分一人だけ。 タバサはシルフィードの操縦に神経を注がなければならないし、キュルケもギーシュもここに来るまでのフライで精神力を使い果たしてシルフィードの背に倒れている。意識があるだけでも大したものだと言うしかない。 ゼロと呼ばれるおちこぼれメイジが、果たしてスクウェアメイジであるワルドと戦って勝てるのか? いや、そもそも戦いと呼べる行いになるのだろうか? (それに……今のワルドを倒すと言う事は……) 深手を負わせて戦闘不能に持ち込む、などという結末は考えられない。多少のダメージなら瞬時に再生させるワルドを倒すということは、つまり。 ワルドを殺害するということ。 「……やら、なくちゃ……」 知らず、言い聞かせるような呻きがルイズの唇から漏れた。 「……やら、なくっちゃ……!」 ルイズはまだ16歳の少女でしかない。 「やらなくちゃ、いけない、のよ……!」 手に持った杖を、固く、固く、握り締めて。 「私がやらなきゃ……誰が、するのよ……!」 左目を占める視界。ジョセフは、空中で姿勢を立て直し、落ちていく岬に着地したようだ。落ちる地面を走るジョセフの視界は、まだ何かを試みようとしている。 使い魔が諦めてもいないのに、主人がこんな体たらくでどうするというのか。 なおも絡み付こうとする弱気の靄を振り払うように、叫んだ。 「私は、貴族! 名誉あるヴァリエール公爵家三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!! 私は……目を背けない!!」 全ての靄を振り払えた訳ではない。 かつての憧れの人を殺さなければならないほどの覚悟を、一介の少女に持てと言うのは困難だ。しかもルイズは泥の中に浸かった人生など送っていない。 温室育ちで世間知らずの少女でしかないのだ。 そんな彼女が戦いを放棄せず立ち向かおうとするだけでも、多量の覚悟は必要だった。 しかし、それでも、どちらかの殺害でしか終わらない戦いに身を投じ、相手を殺して生存するだけの覚悟には、まだ届かない現状。 これが地球ならば、馬に跨る騎士同士が互いに馬上槍を構えているだろう。 ハルケギニアの上空では、グリフォンに跨った魔法衛士と、風竜の背に乗った華奢な少女が、互いに杖を向け合い―― 「ライトニング・クラウド!!」 「ファイアーボール!!」 二人の詠唱が同時に完成し、空気を震わせて放たれた稲妻はルイズの失敗魔法が起こした爆発で吹き飛ばされた。その間に二騎の幻獣は猛スピードで擦れ違い、再び接近する為に大きな旋回に入る。 「……おお! 今のはいい防御手段だねミス・ヴァリエール!」 シルフィードの背に倒れたままのギーシュが、破壊力の高いライトニング・クラウドを巧妙に防いだのに賞賛の声を上げた。 「あ、ああああああ当たり前じゃない! ままままま正に計算通りだったわね!」 「……思った通りまぐれ当たりだったわね」 判りやすいルイズの反応に、ギーシュと同じく背の上で倒れたままのキュルケが呟いた。 ルイズ本人はワルド目掛けて魔法を放ったつもりだったが、左目は今もジョセフの視界が占有している為、右目だけで狙いを付けなければならない。 人間は二つの目で見ることによって遠近を測っているので、片目だけとなると途端に距離感が掴めなくなってしまう。特にもう片方の目に全く別の光景が映し出されているとなれば、狙いも何もあったものではない。 ワルドを狙ったはずの爆発は照準より遥かに前で爆発し、そこに運良く稲妻が直撃したのが今起こった出来事だった。 「けれど今のは効果的。敵も初撃で勝負を決められなかった以上、次からはライトニング・クラウドを撃ち辛い。詠唱も長い上に精神力の消費も激しい」 手綱を握るタバサが、風のメイジからの見解を述べる。 「敵に強力な魔法を詠唱させる時間を与えなければいい。ある程度の攻撃なら、私とシルフィードが避けてみせる」 視線をワルドに向けたまま、振り返らずに淡々と言葉を紡ぐ。 自分よりも小柄な少女の背が、ルイズには何故かとても大きなものに見える。何故そう見えるのか、ルイズにはすぐ思い至った。 (……そうよね、召喚した使い魔は風竜だもの。それだけ実力の高いメイジだってことだわ……) だがルイズはそこで落ち込むようなことは無い。 自分が召喚した使い魔は、ジョセフ・ジョースターなのだから。 「お願いするわ」 一つ、唾を飲み込むと杖を構え直す。再び接近していくワルドに対して爆発魔法を放っていくが、高速で飛行するグリフォンに狙いの定まらない爆発を命中させるのは至難の業だった。 詠唱時間がほとんど必要ないルイズの爆発魔法を武器として、シルフィードの素早い旋回と高速移動を駆使してヒット&アウェイを繰り返す――のがルイズ達の基本戦術だったが、片目しか使えない為に照準が殆ど合わないのが致命的だった。 数打てば当たる、とばかりに魔法を連発しても、ワルドの付近に爆発を集中させるのも一苦労と言う始末。 それだけでなくワルドからの攻撃をかわすためにシルフィードは高速機動を繰り返している為、体中の血と内臓が上下左右へと振り回されるのも命中を阻む要因だった。 時折グリフォンやワルドに爆発が掠りはするものの、ワルド自身は多少身体が爆ぜた所で何事もないように再生する。グリフォンも元とは言え魔法衛士隊グリフォン隊隊長の乗騎だけあり、多少の負傷では怯みもしない。 数十秒も経たぬ内に渇き始めた喉に唾を飲み込ませ、恐れにも似た焦りをルイズは感じた。 (まずい……このままじゃ、そのうち……押し負けるかもしれない……) 決定力不足はどちらもあるにせよ、操縦者の強靭さの利は圧倒的にワルドに分がある。 こちらは下手に魔法の直撃を受ければ命の危険があるが、ワルドは完全な直撃を受けない限りは倒せないのは数度の交差で証明されている。 せめて両目が使えれば狙いも定めやすいが、今も左目はジョセフに占有されていた。 (ああ! もう! ジョセフ、アンタ邪魔よ! ちょっと引っ込んでなさいよ!) 不満を声にしないのは、せめてもの情けだった。 しかし次の瞬間、左目に映った光景に僅かに言葉を失った。 「……どうしたのよ?」 呪文の詠唱が止まったルイズに、訝しげな声を掛けるキュルケ。 だがルイズはキュルケの疑問に答える事無く、タバサに声を投げた。 「――ミス・タバサ。ワルドのスピードを……少しでも殺せるようにして」 「了解。全員、落ちないように気をつけて」 何故、とは聞かずにすぐさま呪文を唱えてシルフィードの背の上に半円状の風のバリアを張り、シルフィードをグリフォン目掛けて接近させる。 「え!? ちょ!?」 タバサに頼んだルイズ本人ですら、突然のスピードアップに驚きの声を上げた。 「少しの怪我を躊躇っては勝てる相手ではない……『突っ切る』しかない。貴方達も腹をくくって」 突如突撃してくるシルフィードに、好機と見たワルドは風の刃を連射する。 当たれば掠り傷では到底済まない刃の嵐の中を凄まじい加速で敵騎に突撃させられ、きゅい!? きゅいーーー!! とシルフィードが懸命に抗議らしい鳴き声を上げるが、タバサは一向に気に介さない。 数秒も要さず互いの表情の変化が見える距離まで近付いたその時、無理矢理にシルフィードを下降させる。 体長6メイルもある巨体が高速で移動することにより、シルフィードの付近に存在した大気は塊となり、シルフィードの周囲に纏わり付く。しかしシルフィード本体が突然進行方向を変えてしまえば、大気の塊は慣性の法則に従わざるを得ない。 ワルドが駆るグリフォンも、風竜が突撃する速度で巻き起こされた大気の塊の直撃を受けては機動を狂わせざるを得なかった。 グリフォンに命中した大気は爆発するような勢いで拡散して不可視の渦と変貌し、巨大な身体を持つグリフォンを揺さ振っていく。 渦に巻き込まれ大きく体勢を崩したにも拘わらず、それでもグリフォンは再び翼を大きく広げで揺らいだ態勢を立て直す。 こんな状況ですら、ワルドはグリフォンから落ちてはいなかった。 片手で手綱をしかと握り締め、両足は鐙から外れてもいない。 それはワルドの騎乗技術の高さを如実に示すものだった。 「この程度で何がどうなるという訳でも――」 ワルドの言葉はそこで途切れた。 何故なら、彼の両目には見えてはいけないものが見えていたからだ。 「馬鹿なっ! そんなっ……そんなことが……っ、あって、たまるか!!」 思わず漏れたのは、シェフィールドより二度目の生を与えられてからは口にしなかった、明らかな焦りの叫び。 「貴様は……貴様は! 一体何者なのだ!? 貴様は一体何なのだ、ガンダールヴ!!」 青い空と白い雲を突き上げて伸びてくる紫の奔流――ハーミットパープル。 まるで滝が天に遡るようなハーミットパープルは誰の目にも違う事無く、ワルドを目標として迸っていた。 シルフィードに乗ったルイズの存在を、一瞬だけとは言え完全に思考から消し去ったワルドは必死にグリフォンを上昇させて茨を回避しようとするが、茨は凄まじい勢いを僅かにも減ずるどころか、むしろ加速度的に勢いを増してワルドへの距離を縮めていく。 「ち……近付くなっ!!」 風の刃が何振りも生み出されては茨を鋭く切り刻んでいくが、幾ら切り刻んでも茨を駆逐することなど出来はしなかった。 それどころか、時間が経つごとに刃は茨を傷つける事が出来なくなっていく。 最初は一振りで何本もの茨を切っていた刃が、一振りが三本、二本、と切る数を減じていき、やがて一本の茨を断つのに数本の刃を要するほどになっていた。 ワルドの精神力が枯渇しているわけではない。 ハーミットパープルが、さしたる時間も要さないうちに進化を遂げていたのだ。 ワルドが高速で逃れようとすれば追う速度を増し、切り払われれば耐久力を上げる。 ワルドは知る由もない。 スタンドとは生命エネルギーが作り出す、パワーを持つヴィジョンということ。精神力次第で能力が高まるということ。ハーミットパープルの能力は遠隔視、念写、探索ということ。 それらをワルドは知らない。知るはずもない。 今、ジョセフが落ち行くニューカッスルの岬に両足でしかと立ち、右手を空に向けて振り上げている事など、判るはずもなかった。 * ルーンが太陽の如く輝く左手にはデルフリンガーを固く握り締め、空高く掲げた右腕からは大木と見紛う大量の茨がワルドへ向かって奔っている。 無論、何の代償も払わないままでは、例えガンダールヴの能力を駆使したとしてもハーミットパープルがこれだけの劇的な効果は発揮できない。 ジョセフは自らの生命エネルギーと精神力を、絞り出せる限り搾り尽くしていた。 「逃げ足だけは……大したモンじゃあないかッ……この、若造が……ッ!」 先程受けた挑発を不敵な笑みの形に歪めた口から吐き出す。 ジョセフは自分のスタンドがどのような能力を持っているか、何が出来て何が出来ないのかをよく理解している。 だから彼は、ニューカッスルに降り立つとすぐさま一縷の望みを賭けた博打として、その場所へ走った。 『昨夜切り落としたワルドの左腕があるはずのゴミ捨て場』へ。 結果、ジョセフは賭けに勝った。 屋根付きのゴミ捨て場は崩壊した城に巻き込まれず、捨てられていた左腕もゴミに混ざって残っていた。 後はワルドの左腕を媒介とし、ハーミットパープルでワルドを『探索』させるだけ。 左目に映るルイズの視界には、必死にハーミットパープルから逃れようとするワルドの姿がはっきりと見えている。 僅かにでも油断すればハーミットパープルに巻き付かれる状態では、ルイズ達にも満足な攻撃を仕掛けることは出来ない。 必然的に、少しずつ、しかし確実に包囲網は狭まっていく。 ハーミットパープルがワルドの身体を掠める回数は間隔を縮め、ルイズの爆発もまた段々とワルドを捕らえる様になっていき―― デルフリンガーが、いつもの飄々とした語り口ではなく、興奮を隠さない叫びにも似た声を上げ、鍔口をけたましく鳴らしていた。 「いいぜ相棒ッ! そうだ、俺は六千年前にもお前に握られていた! 今、俺が見ているのは間違いなくガンダールヴの姿だッ! 神の左手ガンダールヴ、勇猛果敢な神の盾! 左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる……そのままだ! 俺は、お前と一緒に戦ったッ!」 デルフリンガーの言う通りだった。 左手に剣を握り締め、右手からハーミットパープルを伸ばすその姿。 遥か上空へと伸びる紫の茨は、巨大な槍を掲げる姿を想像させた。 「だがッ! そんな伝説の使う技に名前がないんじゃ締まらないッ! だから俺がお前の技に名前を付けてやるッ!」 熱狂したような叫びに、今まで返事をしなかった……いや、することの出来なかったジョセフがやっと口を開いた。 「奇遇じゃなッ……わしもずっと考えてたッ……じゃが、叫ぶタイミングがなかったッ……」 今、ワルドは巨大な掌にも似た茨の中に囲まれていた。 遂に一本の茨が風の刃を耐え凌ぎ、ワルドの脚を捕らえた。 逃げようとするグリフォンと絡め取ろうとする茨に引っ張られ、ワルドの身体が凄まじい勢いで折れ曲がる。 「んじゃあよ、一緒に叫んでみようぜ! ここがクライマックスなんだからなッ!」 「おうよッ……それじゃいっちょ叫んでみっかァ……!」 それを切っ掛けとして、茨達が一斉にワルドに飛び掛る。 デルフリンガーが叫ぶ。 「行くぜッ! これが伝説の使い魔、ガンダールヴの力ッ!」 続いてジョセフが叫ぶ。 「コオオォォォオオオッッッ!! 響け波紋のビィィィィィトッッッッ!!!」 もはやワルドは茨から逃れることは出来なかった。 無数の茨がワルドの全身を縛り上げ、凄まじい力で締め上げ、動きを封じられ。 茨を伝って昇る波紋が、ワルド目掛けて疾り―― 老人と剣の叫びが、重なった。 「ハーミット・ガンダールヴ・オーヴァドライブッッッ!!!」 * ルイズは見た。 キュルケも、ギーシュも、タバサも、シルフィードも。 遥か地面へ向かって落ちたはずのジョセフにしか出せない紫の茨。 それは少年少女達の目には、茨ではなく、大樹のようにすら見えた。 時間にすれば僅かな間でしかなかった。 シルフィードが特攻じみた接近を仕掛けてから、たった十数秒のこと。 ワルドを捕らえた茨が、太陽の光にも似た光を放つ。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!?」 死んだ肉体に満ちているのは水の精霊の力。 波紋は自由自在にワルドの身体を満たす精霊の力を疾走し、増幅させ……暴走させた。 瞬間的に膨張させられた精霊の力は、器であるワルドの肉体では耐え切れず、炸裂した。 「わ……私はッ! 不死身なのだッ! こんなッ……こんな、黴の生えた老いぼれなんぞにッ!」 ワルドの首が、空に吹き飛ばされる。 それでもなお、ワルドは叫ぶ。 「この私が! 死ぬだと!? 有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ないッ……」 うわ言の様に叫ぶワルドの声は、ルイズ達に届いていた。 ルイズは、ただ。 一つ、深く呼吸をして。 「……貴方を殺すのではないわ、ワルドさま」 目の端から空に飛ばされる涙の粒を拭うこともなく。 「これは、貴方を救うことなのよ」 杖を、『ワルドだった』者へと向けた。 ――それに人間、終わりがあるから生きてけるんじゃ。終わりが無くなれば、狂うしかないんじゃよ。狂うしか、な。 かつてジョセフが自分に向けていった言葉。それが不意に頭の中で再生され、ルイズは深く頷いた。 「ジョセフ……アンタの思いが今、言葉でなく心で理解できたわ……私は、貴族として、人間として……」 たった一言、呪文を唱え。 ワルドの首は大きな爆発に巻き込まれ、アルビオンの空へ霧散した。 彼の意識が消し飛ぶ瞬間、黄金の輝きが確かに彼の視界を満たした。 しかしその輝きを見たことは誰にも伝えられることはない。 誰にも知られることは、なかった。 To Be Contined →
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/684.html
ルイズ達が目指しているのは、港町ラ・ロシェール。 トリステインから馬を走らせれば二日、空に浮かぶ大陸『アルビオン』への玄関口として知られている。 港町とは言っても海に面しているわけではない、いや、空を海に例えれば間違いではないが。 そのラ・ロシェールの酒場で、アルビオンへ行こうとする傭兵達が集まり、前祝いをしていた。 「アルビオンの王さまはもう終わりだね!」 「ガハハ!『共和制』ってヤツの始まりなのか!」 「では、『共和制』に乾杯!」 そう言って乾杯しあう傭兵達、彼らは元はアルビオンの王党派についていた傭兵達だが、王党派よりも良い待遇で貴族派が雇ってくれると知って、王党派を裏切った。 彼らは王党派を離脱すると、貴族派に付いて各地の傭兵達を集めた、この酒場に残っている傭兵達は、言わば連絡役なのだ。 ひとしきり乾杯が済んだとき、酒場に仮面を付けた男が現れた。 男は傭兵達に近づき、料理の並ぶテーブルの上に重そうな袋を置く、すると重みで口が開き、金貨が顔を見せた。 「働いて貰うぞ」 傭兵達はその男を不審に思ったが、袋に書かれているマークがアルビオン貴族派のものだったので、にやりと笑って頷いた。 一方、魔法学院を出発したルイズ達は、ワルドの乗るグリフォンの早さに驚いていた。 ロングビルとギーシュの乗る馬は、途中で二回も交換した、しかしワルドのグリフォンは疲れを見せずに走り続ける。 長時間馬を駆るのは乗り手にとっても大きな負担だが、ワルドとグリフォンはまったく疲れた様子を見せない。 「ちょっと、ペースが速くない?」 ワルドの前に跨ったルイズが言った。 ルイズはワルドと雑談を交わすうちに、学院で見せるようなくだけた口調に変わっていった、ワルドがそれを望んだためでもある。 「ギーシュもミス・ロングビルも、へばってるわ」 ワルドが後ろを向くと、ギーシュはまるで倒れるような格好でへばっている、ロングビルは明らかに表情に疲れが出ている 「ラ・ロシェールの港町まで、止まらずに行きたいんだが……」 「普通は馬で二日かかる距離なのよ、無理があるわ」 「へばったら、置いていけばいい」 「そういうわけにはいかないわ」 「ほう、どうしてだい?」 ルイズは、困ったように言った。 「だって、仲間じゃない。それに……」 何かを思い出そうとして、結局そこで口をつぐんだ。 ルイズの頭に、古い宮殿での記憶が引き出される。 ある目的を持って二手に分かれたが、それが二人を見た最後だった。 三人いるはずの別チームが、再会したときは一人に減っていた。 炎の使い手と、砂の使い手、その二人を助けられなかったことをずっと悔やんでいる。 その記憶に引きずられたルイズもまた、仲間と離れるのは怖いのだ。 「やけにあの二人の肩を持つね。もしかして、彼はきみの恋人かい?」 「あ、あれが…? 冗談じゃないわよ」 ルイズは苦虫をかみつぶしたような顔をした。 「ならよかった。婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうからね」 「お、親が決めたことじゃない」 「おや?ルイズ!僕の小さなルイズ!きみは僕のことが嫌いになったのかい?」 過去の記憶と同じおどけた口調で、ワルドが言った。 「何よ、もう、私、小さくないもの。失礼ね」 ルイズは頬が熱くなるのを誤魔化すように、頬を膨らませた。 グリフォンの上でワルドに抱きかかえられながら、ルイズは先日見た夢を思い出していた。 生まれ故郷の、ラ・ヴァリエールの屋敷で、困っているときは、いつもワルドが迎えにきてくれた。 だが、そこに現れる白金の光、光は徐々に人型をして、屈強な戦士を思わせる姿に変わる。 薄いブルーの色をしたその戦士に抱きかかえられ、ワルドと対峙するルイズ。 その夢が何を意味するのか、今のルイズには分からなかった。 途中、何度か馬を替えたので、ルイズ達はその日の夜中にラ・ロシェール付近にまでたどり着くことができた。 町の灯りが見えたので、ギーシュとロングビルは安堵のため息をついた。 「待って!」 不意にルイズがワルドを制止した。 「どうしたんだい?」 「誰かいるわ…2……3人…」 そのとき、不意にルイズ達めがけて、崖の上から松明が投げこまれ一行を照らした。 「な、なんだ!」 「馬から下りなさい!」 慌てて怒鳴ったギーシュに、ロングビルは指示を飛ばす。 突然の事に驚いた馬が前足を上げたので、ギーシュは馬から落ちてしまう、そこに何本かの矢が飛んできた。 もの矢が夜風を裂いて飛んでくる。 「奇襲だ!」 「伏せなさい!」 ギーシュがわめくと同時に、ロングビルは地面を練金して泥の壁を作った、スカッと軽い音を立てて矢が突き刺さる。 ワルドは風の魔法を唱えて身の回りにつむじ風を起こし、矢を防いてでいたが、攻撃に転じようとしたときに別方向から一陣の風が吹いた。 同時に、ばっさばっさと羽音が聞こえた、その音に聞き覚えのあったルイズが崖の上に目をこらすと、六人ほどの男達が風の魔法に巻かれて崖から転がり落ちてきた。 「ほう」 感心したようにワルドが呟くと、がけの上から落ちた男達は地面に体を打ち付けてうめき声を上げた。 そして空には見慣れた幻獣…タバサの乗るシルフィードが姿を見せていた。 「シルフィード!」 ルイズが驚いて声を上げると、シルフィードは地面に降り、その上からキュルケが地面に飛び降り髪をかきあげた。 「お待たせ」 ルイズもグリフォンから飛び降りキュルケに怒鳴る。 「お待たせじゃないわよ! 何しにきたのよあんたたち!」 「あーら、助けにきてあげたんじゃないの。朝がた、あんたとギーシュが馬に乗って出かけようとしてるもんだから、急いでタバサを叩き起こして後をつけたのよ」 キュルケはシルフィードの上に乗ったままのタバサを指差した。 寝込みを叩き起こされたとは言え、パジャマ姿は何か面妖だ。 「キュルケ、あのねえ、これはお忍びなのよ?」 「お忍び? …まさかギーシュと駆け落ち?」 ルイズは笑顔になりながら杖を抜いた、その仕草にキュルケが冷や汗を流す、やばい、怒ってる。 こんな場所で爆発を起こされてはたまったものではない、これにはキュルケも謝った。 「ま、まあ冗談よ!勘違いしないで。あなたを助けにきたわけじゃないの」 キュルケはグリフォンに跨ったままのワルドににじり寄り、しなを作った。 「おひげが素敵なお方ね、あなた情熱はご存知?」 ワルドは、側に寄ろうとするキュルケを手で押しやる。 「あらん?」 「助けは嬉しいが、婚約者に誤解を受けると困るのでね、これ以上近づかないでくれたまえ」 そう言ってルイズを見つめる。 「こ、婚約者?…ふーん、ルイズにねぇ…」 キュルケはルイズを冷やかしてやろうかと考えたが、気が乗らない。 ルイズに微妙な戸惑いがある、と感じたからだ。 しばらくしてから、男達を練金の手かせで拘束し、尋問していたロングビルとギーシュが戻ってきた。 「子爵、あいつらは物取りだと言っていましたが」 「ふむ……、なら捨て置こう」 ギーシュの報告を受けて 先を急ごうとグリフォンに跨るワルドをルイズが制止する。 「ルイズ、どうしたんだ?」 「あいつら、グリフォンに乗ったワルドを見ていたはずだわ。それなのにたった三人で襲ってくるなんて…ねえ、キュルケ、上空から見ても三人だった?」 「あたしが見た限りじゃ三人よ、ね、タバサ」 タバサは無言で頷く。 「何か気になることでも?」 ロングビルの質問に、メイジ4人をたった3人で襲う野党がいるだろうか?と、ルイズが答える。 「貴族派に嗅ぎつかれているのかもしれんな…どちらにせよ、ラ・ロシェールに一泊するしか無い、朝一番の便でアルビオンに渡ろう」 ワルドは一行にそう告げた。 ルイズは腑に落ちないものを感じながらワルドに手を引かれ、グリフォンに跨った。 キュルケはシルフィードの上に乗り、本を読んでいたタバサの頬を突っつく、出発の合図らしい。 目の前の峡谷には、ラ・ロシェールの街の灯が怪しく輝いていた。 そしてルイズの中にいる『誰か』が、ワルドに対する警戒心を強めていた。 ---- #center{[[前へ 奇妙なルイズ-17]] [[目次 奇妙なルイズ]] [[次へ 奇妙なルイズ-19]]}
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/1238.html
『ゼロと奇妙な隠者と――?』 冬もそろそろ過ぎ去り、歩みの遅い春が訪れようかとする頃。ジョセフが召喚された春から一年弱、ルイズ達も三年生に進級することを決めて一足早い春休みに入ろうとしていた。 使い魔として平民が召喚されただけでも大概大事だと言うのに、それから起こった数々の出来事は辛いことも悲しいことも楽しいことも嬉しいことも手当たり次第。 それでも、この一年をもう一度過ごせと言われれば、喜んで過ごしたいと思うようなお祭り騒ぎだった。少なくともルイズと彼女の親友達はそう思っている。 そんなお祭り騒ぎの毎日でも、そんなに毎日イベントが詰め込まれているわけでもない。何かしらのイベントが起こる日よりも、平穏な日々の方が多いに決まっている。 だが今日から、ルイズとジョセフ主従、そして彼女達を取り巻く人々から平穏な毎日と言うものが消し飛んでしまうことを、まだ誰も知らない。 その日の晩。キュルケは寮の階段を登り、フレイムと共に自室へ帰るところだった。 彼女の隣の部屋はもはやこの学院で誰も知らない者はいないルイズの部屋である。ジョセフが召喚されてからも毎日毎日騒がしかったが、彼がシュヴァリエの称号を受けて貴族になり、シエスタがジョセフ付きのメイドになった最近は騒がしさに拍車がかかっている。 それも大体はルイズとシエスタがきゃんきゃん言い争いをしているため、そのけたたましいことと言ったら。しかもジョセフが積極的にスケベなものだから二人にちょっかいを出したりしてとんでもないことになったりするのがどうにも。 今夜も今夜とて階段を登り切っていない内から騒ぎ声が聞こえてくる。 「本当に飽きないわねえ。もうちょっと他人の迷惑とか考えてくれないかしら」 自分も部屋に毎晩お客様を招待しているのは棚に上げて、呆れた様子で呟いた。 だが少女二人の騒ぎ声が、何やら普段と違うようだった。 何とはなしに赤ん坊の泣き声のような声も聞こえてくる。 「え? 何? そういうプレイ?」 キュルケの頭の中ではルイズとシエスタに囲まれたジョセフが赤ん坊のカッコをしてあんなことやこんなことをしているピンク色の妄想が素晴らしい勢いで広がってしまった。 すげえ。これは後学の為にも見物……いやいや見学させてもらうべきかもしれないわ。 そう考えたキュルケはすぐさま足取りを抜き足差し足にし、ルイズの部屋の前へ素早く辿り着いた。 だが近付いていくごとに、部屋の中で行われている光景が奇妙に変貌していく。 ルイズとシエスタの声に赤ん坊の泣き声……と焦っているらしいジョセフの声。 なんだ? 四番目の誰かさんがいるのか? もはや好奇心は沸点直前。 キュルケは期待に打ち震えながら、ドアノブを掴んで一気に蹴り開けたッ! 「ハーイ皆さん! 何してるのかしらーーーーッ……て」 そこで繰り広げられていた光景は、キュルケの思考を凍結させた。 部屋の住人であるルイズとジョセフとシエスタ……はまあいい。いておかしいことはない。だが問題は。大問題は。三人が床で車座になって全裸になっているという―― (あ。やっべ。これは) キュルケはすぐさま現状を把握すると、何気なく手を上げて廊下へ出て行く。 「ごめん。お楽しみの真っ最中だったとは。お邪魔虫はクールに去るわ」 「いやいやいやいやいやいやいやいや!!!」 現実に素早く立ち戻ったルイズが勢い良く立ち上がり、気を利かせて去ろうとするキュルケを無理矢理引き戻そうとする。 「ちょ! あんたルイズ! 服くらい着なさいよっ……て」 小さな身体の何処にそんな力があるのか、というくらいにキュルケの腕をつかむルイズは、きっちりと制服を着込んでいた。 「事情は中で説明するから! 早く入りなさいよ!!」 そのまま部屋に引きずり込まれたキュルケは、何とはなしに(ああ、男一人に女三人というのは初めてだわ。女の子相手でも大丈夫かしら)と考えていた。 それから数分後。 キュルケはルイズとジョセフとシエスタからの説明(主にジョセフ)を受けて、一応は事態を納得した。 今、彼女の腕の中では赤ん坊らしき何かが泣きじゃくり、彼女の服もまた消え失せていた。ジョセフから手渡されるまでは半信半疑だったが、こうやって実際にだっこしてみると信じざるをえなかった。 「これがスタンド能力? でもダーリンのハーミットパープルとは違うわよ」 「そりゃそうじゃ。スタンドッつーのはそれぞれ個人差があるモンじゃからの」 そう言うジョセフの両目は後ろから覆い被さるルイズの両手で隠されていた。 事の発端はこうだ。ジョセフが昼間に洗濯をしていると、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。何かと思って近付くと乳母車があり、その中に透明な赤ん坊がいたのでひとまず拾ってきて現在に至っているらしい。 「そもそも乳母車の材質がこっちじゃー作れやせんモンじゃからの。この子もなんかの拍子でこっちに来ちまったと考えて問題はないじゃろ」 ちなみに乳母車にはばっちり「Made in Japan」の刻印がついていた。 「それにかんしゃく起こすと服以外にももっと色んなものが透明になっちゃうのよ。私達でどうにかしないとどうにも出来ないわよ。それに……」 (ジョジョのお願いを無碍には出来ないもの) ぽそぽそ、と何かを言ったのは三人には判ったが、何を言ったのかは聞こえなかった。だが大体何を言ったのかは、判られてしまった。 「はいはい判った判った。でもどうするのよ、普通の子供ならまだしも子守りなんて雇うワケにもいかないでしょ? 下手に知れたらアカデミーに連れてかれたりしかねないわ」 悪名高いアカデミーのことは、ゲルマニア出身のキュルケでも大体知っている。 これまでに華々しい戦歴を挙げてきたルイズとジョセフがいまいち認められていないのも、アカデミーに二人のことを知らしめてはいけないという、オスマンとアンリエッタの配慮によるものでもある。 「その点は大丈夫です、ミス・ツェルプストー。私は故郷で弟や妹達の世話をしてきましたし、子守は慣れてますから」 シエスタがしゅたっと手を上げる。ここでジョセフの点数を稼ぐ目論見も当然ある。 「でもシエスタ、あなたも昼間色々仕事してるでしょ。この上仕事増やしたらキツくない?」 彼女の目論見を看破したルイズがすぐさまジト目でツッコミを入れる。 「いざとなりゃあわしが寝ないで子守してもええがの」 24時間働けるEnglish Man In NewYork(←イギリス人には見えないし空気読んでない)が現れた。 「とりあえず他にも色々と問題があると思うんじゃよ。赤ん坊は泣くのが仕事じゃし、しかも気に入らんことがあれば周りのものが全部透明になっちまう。一応学院長には話を通してきたからいいんじゃが、あまり周りに知らせるアレでもないからのー」 「んじゃタバサとギーシュとモンモランシー辺りにも話を付けといていいんじゃない? あそこらへんは言うなって言ったら言わない面子だし」 こういう時に現実的な思考が出来るキュルケは頼れる味方である。 「まず、色々用意しなくちゃいけないモノがあるんじゃないの? 子供育てるって一言で言ったって、買うものだってあるでしょ。次の虚無の曜日に、城下町へ行くなりしないと」 キュルケの言葉に「あ」という顔をした三人を見て、彼女は自慢の赤毛を緩く振った。 「……明日にでも、城下町で色々揃えてきなさい。先生には上手に言っといてあげるから」 これはこれから苦労するぞ、という直感を疑おうともせずに溜息をついてから、キュルケははたと思い当たったことを口にしてみた。 「そう言えば、フーケ騒動からどのくらい経ったっけ」 いきなり何を言い出すんだと思いながらも、ルイズが答える。 「ええと……ジョセフが召喚されてからちょっとくらいしてだから……十ヶ月前?」 「正確には十ヶ月と一週間ちょっとだわね」 にまぁ、と満面の笑みを浮かべた口元を手先で覆い隠したキュルケへ、ルイズはいつものように眉毛をV字にして声を尖らせた。 「何よキュルケ。言いたいことがあるならちゃんと言えばいいじゃない」 「あ、言っていいんだ?」 今にも笑い出しそうな唇を懸命に動かしながら、キュルケは自分の想像を口にした。 「あのお熱いベーゼでルイズが孕んだ結果だって考えたら辻褄合わない? 御懐妊から御出産までそのくらいだって考えたらちょうどそのくらいだものねー」 いつものように大暴れし始める二人を押し留めたのは、赤ん坊の泣き声と、なんでもかんでも透明になっていく光景だった。 それから老人と少女達の悪戦苦闘七転八起の子育てが始まることになる。 ただでさえ気性が激しいのに透明な女の子(シエスタの触診で判明した)ということで、並々ならぬ苦労があることは火を見るより明らかだったが、それを育てる親代わりがジョセフも含めて世間知らずな貴族達というのもまたシエスタの苦労の種の一つだった。 子育て経験豊富なシエスタはともかくとして、ルイズ、キュルケ、タバサにジョセフと、子育てに積極的に関わることになった他のメンバーは非常に役に立たないので、「将来必要になるかもしれない」ということも含めてシエスタの子育て授業が始まることになった。 「まさか平民の私が貴族の皆様方にこんな事をお教えする日が来るだなんて」とあわあわしていたシエスタだが、必要に迫られた生徒達の飲み込みは非常に早いことに安堵もした。 赤ん坊が透明な件についても、キュルケから提供を受けた化粧品で化粧をさせることで一応の決着はついた(でもこんな若い頃から化粧するとお肌にどうかしらねえ、と言ったキュルケに「お前が言うな」というツッコミも入った)。 そして誰が親代わりになるかという点については、赤ん坊がジョセフにばかりよく懐いていたので、満場一致で「ジョセフの子供」ということになり、めでたく「静・ジョースター」という名前をつけられることとなった。 長期休暇中ということもあり、シエスタやジョセフがメインで静の世話をする中、他の三人が代わる代わる手伝いをするというパターンが成立していた。 しばらくは慣れない子育てに七転八倒していたのも、すぐに七転八起になり、やがて全員が赤ん坊を抱く手付きにも慣れた様子が見えるようになってきた。 「魔法の勉強より大変」とタバサが呟いたのだから、平坦な道のりではなかったのだが。 しかし一つの問題が解決したと思えてきた頃、密かにもう一つの問題が成長していた。 すっかり春めいて花も咲き誇る頃、静はすっかりジョセフを独占してしまっていた。 静が透明なのをさておけば、どこからどう見ても孫の世話をする祖父そのもの。 だがそれは、ついこの間まで祖父の横にいた孫、ルイズには気に入らない事態だった。 (何よ何よ! 私の使い魔なのにどうして赤ん坊の世話にかかりっきりなのよ!) 子供も喋れない赤ん坊に嫉妬するのもどうかと思われるが、実際に弟や妹に親を取られたと思った子供は、親の目を引こうと「子供返り」と呼ばれる退行現象を起こすことがある。 大家族の生まれであるシエスタは赤ん坊とはあんなものだ、と割り切ることが出来たが、末っ子なルイズはそんなことだと割り切ることも出来なかった。有体に言えば、ヤキモチが悪化したということだ。 その結果、丸一日ジョセフ達の前にルイズが姿を現さなかったのに至り、キュルケとタバサはある重大な決意を固めた。 二つの月が大きく空を輝かせるその日の夜。主のいないルイズの部屋の中、揺りかごの中ですやすやと寝息を立てている静を、椅子に座ったまま優しげに見守るジョセフの後ろにキュルケがやってきた。 「あ、ダーリン? シズカはあたしが見てるから、ちょっとルイズのトコに行ってあげて」 「あん? いや、じゃがキュルケももう寝る時間じゃろ? なんならシエスタに……」 「あー、シエスタなら今日は仕事が多かったからって部屋で寝てるし」 モンモランシー特製の睡眠薬で、一番のお邪魔虫は朝までぐっすりである。 「それに孫はシズカだけじゃないでしょ。ルイズもたまには構ってあげないと」 「ふむ……そうじゃの。んじゃ、ちょっとの間子守を頼めるかの」 ジョセフはルイズを大人だと認めているので(少しの間ならほっといても大丈夫)と思っているフシがある。だがジョセフは自分も17歳だった頃をすっかり忘れてしまっているが、17歳なんていうものはまだまだ子供もいいところである。マンモーニである。 そしてキュルケに言わせれば「ルイズもダーリンもコドモ」……と。まあそんな所である。 と言うわけでジョセフはルイズを探しに部屋を出て行って。キュルケは苦笑しながら、音を立てないようにそぉっとジョセフが座っていた椅子に座った。 ルイズはヴェストリの広場の片隅で一人、膝を抱えて座り込んでいた。 もう何時間こうしてるか判らないが、部屋に帰るとイヤなコトを言ってしまいそうで帰ることは出来なかった。今もまだ、イヤなコトを言ってしまいそうなので帰れない。 それでも、きっと。 (……ジョジョが迎えに来てくれたら、帰れるかもしれない) 最初のうちは(迎えに来たら怒鳴り倒してやる)だったのが、(何よ自分の主人くらい迎えに来なさいよ! そんなに赤ん坊の方が大事なの!?)に変わり、やがて(……どうしよう、こんな時間になっちゃった。帰るタイミング逃した)を経て現在に至っている。 こうやってじっと一人でいると、「なによルイズ・フランソワーズ。赤ん坊に嫉妬してどうするっていうのよ」と、冷静な考えがやっと復活する。 色々ヤキモチだって妬いた。それこそジョセフに近付いた女性みんなにヤキモチを妬いてきた。でも、だからって。赤ん坊にまでヤキモチ妬くというのは、果たして貴族以前にオンナノコとしてどうなんだろう。 (……だってジョジョは……盛りの付いた犬で……私の使い魔なのに……目を放すとすぐに他の女の子にちょっかい出すし……で、でも、わ、わたしの……私の、おじいちゃんで……その……) おじいちゃん、と認めるだけでも顔が真っ赤になるのに、それ以上言おうとすれば顔から火が出るような騒ぎになる。 しばらく奮闘していたが、結局それ以上考えることも出来ず大きく首を振った。 (何よ私) 小さな小さな溜息を、ついて。 (……バカじゃないかしら) くすん、と小さく鼻を鳴らした。 さく、さく、と草を踏みしめながら近付いてくる足音にも、顔を上げなかった。 「おお、ここにおったか」 「……何しにきたのよ」 尻尾があれば思わずぴんと立っていただろうに、口から出るのはいつもの憎まれ口。 「老いぼれの犬めが寂しがりのご主人様を探しに来たんですじゃよ」 「うるさいっ」 不貞腐れてそのままでいれば、左によっこらしょと座った気配が感じられた。それから大きな右手で、優しく頭を撫でられる。 ルイズは抗うこともせず、ただ撫でられるままになっていた。 「あーと。ほら、機嫌直せ。いつからここに座っとったんじゃ、すっかり髪の毛が冷えちまっとるぞ。こんなじゃ風邪引いちまうじゃろ」 「……いいのよ。どうせ私はバカなんだから風邪なんか引かないわよ」 「迷信じゃよそんなモン」 そう言ったジョセフは、ルイズの腰を両手で掴んで軽々と持ち上げてしまうと、そのまま自分の膝の上に彼女を乗せてしまった。 「っ、何するのよ勝手に!」 抗議と共に背後のジョセフに振り向き睨み付けはするものの、相変わらずの気楽な笑みが見えただけだった。 「ほれ、冷えた身体を暖めてやらんとな。女の子は身体を冷やしちゃいかんからの」 腰に当てられた手からほのかに日差しのような光が漏れ、ルイズの身体に波紋のような暖かさが回っていく。 決して不快ではない心地よい温度に、ルイズは不服そうにしながらも静かに目を閉じた。 「またわしがなんかやったんかの。最近は……特に何もやっとらんつもりじゃったんじゃが」 「……別に何もないわ」 一瞬言葉を選んだ後で出てくる否定の言葉が、決して彼女の意思を忠実に表しているわけではないことは、もうそろそろ一年を経過する付き合いを経たジョセフにはよく判る。 「えーと。あれか。静のコトかの」 当てずっぽで言った言葉に、小さな肩がぴくりと震えた。 「……うるさいわね。いいわよ、主人なんかほっといて赤ちゃんの世話でもずっとしてなさいよ。ガンダールヴなんかやってるより子守やってる方がよっぽどお似合いだわっ」 その言葉に、ジョセフはおおよその事情を察した。隠せない苦笑を隠す努力もせず、腰に当てていた手を肩に回して、自分に振り向かせた。 「……何よっ。何か言いたいことでもあるの」 月明かりに照らされる少女の両目は、月光を受けて色濃く潤んでいた。泣き虫なこの少女は、自分に泣き顔を見せるのをあまり良しとしないのだ。 「んじゃまあ僭越ながら。静も大切じゃが、ご主人様もとても大切に思ってるんじゃよ」 「……あたしとシズカのどっちが大切なのよ」 「そりゃ両方じゃよ」 「嘘でもこういう時はご主人様って言いなさいよっ。気が利かないわねっ」 赤ん坊に張り合う17歳というのも、どういうモンじゃろうなあ。と思ってしまうのは、仕方のないことだった。 呆れも半分、微笑ましさも半分。 なおも何かを言い募ろうとするルイズの言葉を飲み込むように、唇を重ねた。 「んっ……」 きゅ、と瞼を固く閉じるが、ジョセフの唇を拒もうとはしない。 誰もいない広場の片隅に、ほんの少しの間だけ沈黙が訪れた。 そして、唇が離れた時。ルイズの小さな手はジョセフの耳を摘んでひねっていた。 「アイチチチチチ、お気に召しませんでしたかの」 その言葉に、更にぎゅうううう、と力を込めてひねり。そして、耳元に濡れた唇を寄せて囁いて。 ジョセフだけに聞こえた言葉に笑みを漏らすと、今度は両頬と額に、キスが落ち。それから もう一度、唇が重なった。 結局二人が部屋に帰った頃には、キュルケは椅子の上ではなくベッドの上ですやすやと寝入っていた。 ルイズに叩き起こされたキュルケは、寝癖の付いた赤毛を気だるそうにかき上げながら言った。 「シズカに弟か妹を拵えるのは、せめて学院卒業してからになさいよ」 To Be Contined?
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/1420.html
だがアンリエッタはジョセフの内なる感情とルイズの戸惑いにも気付かず、静々とした足取りでジョセフの前へ歩み寄る。 「貴方は……ルイズの使用人かしら?」 幾ら図体が大きく鍛えられた肉体を持つ男とは言っても、老人を恋人と勘違いするほど王女殿下の頭は間抜けでもない。ジョセフを使用人の平民だと判別したアンリエッタは、ルイズとの話が終わるまでは声を掛けなかったのである。 ジョセフはその扱い自体に憤る訳ではない。そういう身分制度だと理解しているからだ。 「いえ、わたしの使い魔です。姫様」 「使い魔?」 ルイズの言葉にアンリエッタは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしながら、まじまじとジョセフを見た。 「人……にしか見えないのですけれど」 「人です。親愛なる王女殿下」 ジョセフは改めて、膝をついて恭しく一礼をしてみせる。 堂に入ったその仕草に、アンリエッタはまあ、と感嘆の声を上げた。 「ルイズ・フランソワーズ、あなたは昔から変わっていたけれどまさか人の使い魔を持つだなんて思いもよらなかったわ。さすがね」 「何と言うか……たまたまというか……」 どうにも煮え切れない態度で言葉を選ぶルイズ。 だがアンリエッタはそんなルイズの様子に頓着することなく、殊更明るい声で言った。 「頼もしい使い魔さん」 「なんでしょうか、王女殿下」 アンリエッタのたおやかな微笑みに、ジョセフは静かに言葉を返した。 「わたくしの大切なお友達を、これからも宜しくお願いしますね」 す、と、左手を差し出すのに、ルイズは驚いたような声を上げた。 「いけません殿下! そんな、使い魔に手を許すだなんて!」 「いいのですルイズ。忠誠には報いるところがなければいけません」 王族が平民に手を許す、ということは破格の褒美と称してもいい。何の躊躇いもなく平民に左手を差し出す王女は『貴族平民の区別なく分け隔てなく接する慈悲深い王女』と呼ばれるに相応しい。 (この世界で王族として育てられて、この優しさを持っておるッつーことは生まれ付いての優しい人間ということじゃな。――王族に生まれなければ幸せになれたじゃろう) 優しさだけで王族としてやっていけるかと言われれば、答えはNOだ。少なくとも、この世界では。 ジョセフは差し出された左手を見ながらも、音もなく立ち上がり、アンリエッタを見下ろした。 「……ジョジョ? 姫様が『キスを許す』ということよ、それ」 そのままキスをするだろうと思っていたルイズは、思わず声を掛ける。先程見せた怒りが、なおも消えていないばかりか、それがアンリエッタに向けられているように思え、声色はかすかに不安を帯びていた。 だがルイズの予感は、的中していたのだった。 左手を差し出したままのアンリエッタは、自分より頭二つほども高いジョセフの背に、思わず目を丸くした。 二人の美少女の視線を受けたまま、ジョセフはゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ始めた。 「――わしはこの年になって16歳の小娘の使い魔なんかやっておる。主人はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという名前じゃ。 顔は可愛いが高飛車で癇癪持ちでワガママでそりゃーいけすかん小娘じゃ」 脈絡もなく始まった言葉に、アンリエッタもルイズも虚を突かれていた。 「メイジが貴族だと呼ばれるこの世界で、このルイズは魔法を使えば爆発するし周囲からもゼロと呼ばれてバカにされてもおる。 じゃが、これほど貴族の誇りを美しく持った者をこの学院では他に見たことがない。他の誰が認めずとも、このルイズは紛う事無き貴族じゃ。王に戦えと言われればその身を戦場に投じることも厭わんし、国の為に死ねと言われれば死んでみせる覚悟もある! わしはルイズの使い魔として、危険な戦場の只中であろうとも主人の仰せ付かった任務を成功させる助けをしてみせるし、必ずやわしらはどんな場所からでも生還してみせる!」 淡々と紡がれる言葉は、言葉が続くに従って緩やかに、着実に熱を帯びていく。 最初はバカにされているように感じたルイズも、ベタ褒めと言ってもいい言葉がジョセフの口から流れ出るのに悪い気はしなかった。 何を言い出しているのか判らなかったアンリエッタも、(ああ、自分達は王女の頼みを受け入れ、いかなる危険であろうともそれを乗り越えてみせると言う決意表明なのだわ)と判断してからは、慈愛と信頼を含んだ笑みでジョセフを見上げていた。 「だがッ!」 しかし、一喝にも似たジョセフの言葉が、弛緩した部屋の空気を一変させた。 アンリエッタは、自分を見下ろしているジョセフの燃える様な視線の意味が理解できなかった。それは久しくアンリエッタが受けた覚えのない類のものだったからだ。 だが、ルイズは。王女殿下を見下ろすジョセフの視線の意味を即座に理解した。 あれは――怒り、だ。 「なっ……待ちなさっ……!」 「アンリエッタ王女ッ! ルイズの輝ける誇りに比して! アンタの無様さにわしは怒りを覚えたッ!!」 ジョセフの恫喝に、部屋の空気が痛々しいほど凍りついた。 自分の予想を遥かに超えた厳しい言葉がジョセフの口から奔ったのに、ルイズの制止の声自体が制止し、アンリエッタは慈愛に満ちた微笑み自体を凍りつかせてしまった。 「何が真の友情か、何が忠誠か! アンタのその腐れた根性で尊い言葉を弄ぶなッ!!」 駄目押しとも言わんばかりの激しい言葉。 「あッ……アンタって奴はぁぁぁぁぁぁッッッ!!」 全く予想も出来なかった事態から我に返ったルイズが、ジョセフのこれ以上の狼藉を止めようと素早く駆け寄り、風を切って乗馬鞭を振るい――その先端が、腕を差し出した使い魔の身体に初めて傷を付けた。 波紋戦士でスタンド使いのジョセフと言えども、鞭で叩かれて痛くないはずがない。現に鞭を受けたシャツは布地を引き裂かれ、皮膚にはうっすらと赤い傷が浮かんでいる。 常人ならば悲鳴を飲み込みことも出来ない痛みが走るが、しかしジョセフは僅かに眉根を寄せただけで、苦悶さえ浮かべない揺ぎ無い目でルイズを見やった。 使い魔のジョセフでも友人のジョジョでもない、貴族ジョセフ・ジョースターとしての目。 年輪を重ねた老人の思慮深さと、誇り高い血統の末裔を示すように輝ける力強い意思――貴族の威厳と称すべき視線にルイズは知らず気圧され、再び鞭を振るうことを躊躇わせた。 それからもう一度、その視線がアンリエッタへと向けられた。 アンリエッタは彼が向ける視線を、いつかどこかで受けていたはずだったが、それを受けたのはいつだったのか、どこだったのか、すぐには思い出せず。 無礼と断ずることも、反論することも出来ず、ただ、ジョセフを見上げて息を飲んだ。 「今にも味方が敗北しそうな戦場の只中に行くのはいい、そこに国の命運がかかった代物があるというのならこのルイズは王に仕える貴族の誇りをもって死を厭わず向かうだろうッ! 今アンタが見たように、躊躇うことなく命を賭した任務を買って出たッ! だがアンタは! 真のお友達と称したルイズを危険な戦場に赴かせる危険を知っていてなお! 自らの命で友を死地に向かわせることを恐れたッ!!」 峻烈な言葉が、矢継ぎ早に投げかけられていく。だが、アンリエッタは怒ることもなく、泣き出すこともなく、ただ、腹の底から湧き上がりそうになる感情の奔流を押し潰すように、強く歯を噛み締め、杖を両手で固く握り締めていた。 「アンタは友人の頼みという体面で、哀れな悲劇のヒロインを演じてルイズの同情を買ったッ! 王女として命令するのではなくッ! ただの無力なアンリエッタが昔の友人の同情を誘って、友人の口から自らが向かうと言わせたッ! その形なら、例えルイズが命を落としたとしても『自分が命じて殺した訳じゃない、私の友人が自ら死地に赴いただけのこと、私が悪いわけじゃない』と自分に言い訳が出来るッ! アンタは輝ける誇りある貴族に、王女として振舞わなかった! 下らない三文芝居までしてみせて、その代償に友人を死地へと追いやろうとしたッ! 王族の誇りを捨て、自らに仕える貴族にへつらった! そんな腐れた魂の何が王女か、何がルイズの友達かッ!」 ルイズもアンリエッタも、自覚していなかったやり取りの意味。何気ない会話のベールを被って知れず潜んでいた内面は、ジョセフの手によって光の元に晒され続ける。 そんな意図が本人達になかったとしても。言われてみればそうとしか言えない歪んだ意図が、躊躇いなく正体を暴かれ続けるのを見つめているしか出来なかった。 「アンタはルイズに命を賭けさせるのに、アンタは王家の責務を果たそうとしていないッ!! アンタは確かに生まれは高貴なトリステイン王家の生まれじゃろうよッ! じゃがその魂は、わしの主人が仕えるべき存在には全く相応しくないッッッ!!!」 今ここで、ジョセフの言葉を上回る意味を持つ言葉を、アンリエッタもルイズも、何一つ用意することが出来なかった。 妬みややっかみの欠片さえ見つからない、純粋な怒り。だがそれは、アンリエッタが生まれてこの方投げられたことのない類の怒り。 甘えた少女を叱咤する、自らの意思で立って歩めと叫ぶ激励の怒りであった。 「アンタが本当にトリステインの王女でありッ! ルイズの友人だというのならッ!! ただのアンリエッタではなく、トリステイン王国の王女アンリエッタとして命令を下すべきじゃッ! 『トリステインの為、死地に赴いて王女の任務を完遂せよ』と! ただの友人の願いではなく、王女直々の命でアルビオンに向かわせると! “アンリエッタ王女殿下”が本当にルイズ・フランソワーズを友人だと思うのなら! 王女殿下は王女殿下の誇りを持って、誇りあるトリステイン貴族に命を下して頂きたい! 殿下はどうなされるのか! 見せて頂きたいッッ!!」 皮肉や嫌味のない真実のみで象られた言葉の重さと、強さを。 アンリエッタにもルイズにも、理解できた。 痛いほど鼓動する心臓を抑えようと、胸に手を押し当て。知らず乾いていた喉に唾を飲み込ませて喉を湿らせると、重量さえ感じさせるジョセフの視線に、自分の視線を合わせた。 「――わかりました」 ただの一言ではあるが、ジョセフはただそれだけの言葉に、先程まで失われていた王族の威厳を感じ取った。 す、とジョセフからルイズに身体を向けたアンリエッタの所作に、ルイズは呼吸するかのような自然さで、膝をついた。アンリエッタがフードを脱いで正体を明かした時のような反射的な所作ではなく、王女に恭順の意を自ら示す為に、膝をついた。 「ルイズ・フランソワーズ。私は忠実たる貴族たる貴方に泥を塗りたくるような侮辱をしてしまいました。栄えある王族として、恥ずべき振る舞いを弄してしまった事を心より悔います。同じ過ちを二度とはしないように、始祖ブリミルにこの場で誓約します」 始祖ブリミルだけではなく、ルイズと、そしてジョセフにも聞こえる高らかな声で誓約し。 次にルイズに立ち向かったのは、お友達のアンリエッタではなく。 トリステイン王国王女、アンリエッタ殿下その人であった。 「トリステイン王国王女、アンリエッタが、ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに命じます。 貴女方は今これより、わたくしの命に従いアルビオンに赴き、ウェールズ皇太子より一通の手紙を受け取りに行って貰います。これはトリステインのみならず、始祖ブリミルの末裔たる三王家の威信がかかった重要な任務です」 王家の血族が、自らに仕える貴族に命令する言葉としてはもはや申し分のない言葉である。続いてもう一つの言葉を発するべきかどうか僅かな逡巡が端正な顔に滲んだ。だが、それでも意を決し、締めるべき言葉を発した。 「――その命に代えても、任務を果たすように」 「……はっ。この命に代えましても、必ずやこの任務やり遂げましょう」 王家の為に死ね、と。 心を許した友人にそう宣告する辛さは、アンリエッタの心を嫌と言うほど斬り付けた。 けれど。先程までただの悲劇のヒロインを気取っていた自分が、あまりにも愚かしく無様に見えた。王女としての責任から目を背けようとしていた自分を、嫌悪した。 友人の厚意に甘えて自分の責任から逃避しようとしていただなんて。先程の自分が目の前にいれば平手で打ち据えたい衝動に駆られていた。 静かに吐息を漏らすと、もう一度ジョセフに向き直り、彼を見上げた。 「……使い魔さん。もし良ければ、貴方の名前を聞かせてもらえませんか」 名を聞く言葉に、ジョセフは右手を自分の胸にかざしながら膝をつき、頭を垂れた。 「わしですか。わしの名は、ジョセフ。ジョセフ・ジョースターと申します。先程までの非礼の数々、この老いぼれの首を差し出してもなお償えないとは存じております――が。それでもなお、我が主の命を賭した任務に、王女の言葉がないのでは。主が、報われなかったのです」 すまなさそうに俯くジョセフに、王女はあの慈悲を湛えた微笑みを返した。 「いいえ、ジョセフさん。貴方の言葉は、この愚かなアンリエッタの心を強く震わせました。貴方の言葉がなければ、私は王女としての矜持を忘れ去ってしまうところでした」 アンリエッタとしての笑みの後、表情を引き締めて王女の貌でジョセフを見やる。 「もし、貴方が私への非礼を償いたいと思うのなら。わたくしの大切なお友達のルイズと、ルイズの大切な使い魔である貴方が、どうか無事に帰ってきてほしいのです。友達面で擦り寄ってくるだけの宮廷貴族達とは違う……私に真に忠誠を誓うあなた方が、私には必要です」 「王女殿下の命令とあれば、例え地獄の底からでも」 「いいえ、これは命令ではありません」 栗色の髪が、音もなく左右に揺れ。ブルーの瞳が、ジョセフとルイズを見つめた。 「――友人としての、願いです」 膝をついたままの二人は、一様に満足げな笑みを浮かべてアンリエッタを見上げる。 「このわしごときには、身に余る光栄ですじゃ。もし、王女殿下がわしを友人だと認めてくださるのなら……わしの友人達は、わしのことをジョジョ、と呼ぶのですじゃ」 「ええ、ジョジョ。わたくしのルイズを、宜しく頼みます」 そして、改めて左手を差し出す。ジョセフは音もなく跪くと、差し出された手を優雅な動作で取った。 「王女殿下の願いとあれば。わしは、殿下のいやしきしもべに過ぎませぬからな」 そう囁いて、手の甲に恭しく唇を触れさせた。 「――ああ、その様な物言いをする貴族も減ってしまいました。祖父が生きていた頃は……フィリップ三世の治世には、貴族は押しなべて恭順を示していたというのに!」 瑞々しい美しさを湛える王女の面持ちには似つかわしくない、嘆きの表情が浮かぶ。 ジョセフは左手を離すと、視線を静かに王女に合わせ、言った。 「もし、殿下が貴族達に恭順を示される存在となりたいのならば、主人もわしもこの身を惜しまず殿下の手足となりましょう。今、殿下の中に脈打った輝かしい誇りを、どうか忘れずにお持ちくだされ」 アンリエッタはその言葉に、ルイズに駆け寄ると彼女の手を取って固く握り締めた。 「ああ、ルイズ! わたくしのルイズ! 聞きましたか今の言葉! わたくし、今夜と言う時がこんな素晴らしいものになるだなんて思いもよらなかったわ! 今夜、ルイズ・フランソワーズとジョセフ・ジョースターというかけがえのないお友達を得ることが出来たのだわ! ねえルイズ、この奇跡を始祖ブリミルに感謝するしかないのかしら!」 「ああ、姫殿下! その様な勿体無いお言葉! わたくしも姫殿下にお友達と呼んで頂けたこの夜のことは、決して忘れることのない栄えある日として一生心に刻み付けますわ!」 ひしと抱き合って紅涙にむせぶ二人を見て、芝居がかっていたのはどうやら計算ずくではなくて、トリステインではそういうのが当たり前だったんかのう。と、ちょっとジョセフは後悔した。 とりあえず、一件落着かなと思っていたところに。ばたーんとドアが開いて……というか、聞き耳を立てようとして身を乗り出したら体重がかかりすぎてそのままドアを押し開けて部屋に入ってしまいましたよ、という風情のギーシュが転がり込んできた。 「何じゃギーシュ。盗み聞きは趣味が悪いぞ」 この場で唯一冷静なジョセフが冷めた目でギーシュを見下ろす。 「な、何よ! あんた、今の話全部聞いてたってワケ!?」 相変わらず薔薇の造花を手に趣味の悪いふりふりな服を着込んだ少年は、あ、え、と言葉を選んだ後、はっと我に返ってジョセフに向き直った。 「薔薇のように見目麗しい姫殿下の後を付けてみればこんな所へ来たんだ! それでドアの鍵穴から様子を伺えば……ジョジョ、君と言うやつは何と大それた真似をッ……」 あまりのバツの悪さに心に浮かんだことを次から次へと並べ立てるが、そもそも事態は解決しているのである。 ギーシュは薔薇の造花を振り回して決闘だ、と言おうとした所で、波紋をたっぷり流された毛布で殴り倒された。 「げぼぁッ!!?」 「このドアホウがッ!! てめェ姫殿下の後をコソコソ付回すだけじゃなくてレディの部屋を盗み聞きしといてなぁにデカい顔しとるんかッ!」 ジョセフは倒れたギーシュを引き起こすと、コブラツイストをかけた。 「いだだだだだだッ! ギ、ギブキブギブっ!!」 「で、どうしますかの。姫殿下の話を不埒にも立ち聞きしとったようですが。とりあえず打ち首と縛り首のどちらにしましょうかの」 コブラツイストを解かないまま、アンリエッタに問いかける。 「ひ、姫殿下ッ……その困難な任務、どうかこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう……」 「てめェまだ懲りとらんのか! お前はモンモランシーといちゃついとれッ!」 「グラモン? あのグラモン元帥の?」 アンリエッタがきょとんとした顔で珍妙に身体を極められたギーシュを見た。 「む、息子でございますッ! 姫殿下ッ!」 懸命にジョセフから抜け出したギーシュはほうほうの体で跪いて一礼した。 「貴方も、わたくしの力になってくれるのかしら?」 「はッ! 王女殿下の任務とあれば、望外の幸せにてッ!」 懸命に忠誠を誓う言葉に、アンリエッタは優しげに微笑んだ。 「ありがとう、この学院にはわたくしに忠誠を誓う貴族がこれほどに多いことに喜びを感じます。勇敢なお父上の血を引く貴方の働きに期待します、ギーシュ・ド・グラモン」 「ひ、姫殿下が……ぼ、僕の名前をッ……」 喜びのあまり卒倒したギーシュを無視して、ルイズは真剣な面持ちで王女を見た。 「では明日の朝、アルビオンに向かって出発いたします」 「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます。アルビオンの貴族達は貴方がたの目的を知れば、ありとあらゆる手を使って妨害をかけてくるでしょう」 アンリエッタは机に座ると、羽ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためる。 書き上げた文章をもう一度読み直し……幾許かの躊躇いの後、末尾に一行付け加えたアンリエッタが悲しげに何かを呟いたのは判ったが、ルイズには何を呟いたのかは判らなかった。 密書だというのに、まるで恋文を書いている様な切ない色が見え隠れしたのだが、それが何かを問いただすことも出来ず。胸の前で手をそっと握り締めた。 アンリエッタは書き上げた手紙を丸めると、取り出した杖を振る。すると手紙に封蝋がなされ、花押が押される。正式な書状となった手紙を、ルイズに手渡す。 「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を渡してくれるでしょう」 そして王女は右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡した。 「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです、お金が心配なら売り払って路銀にあててください」 ルイズとジョセフは、深く頭を下げた。 「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹きすさぶ風からあなたがたを守りますように」 王女殿下が部屋を去った後、姫殿下への無礼を責めるルイズと、臣下だからこそ君主の非を指摘するべきだと主張するジョセフの間で、大討論が繰り広げられた。 トリステイン代表ヴァリエール公爵家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国代表ジョースター家当主ジョセフ・ジョースターの対決は夜が明けてもなお決着がつかなかった。 途中で意識を取り戻したギーシュは二人の余りの剣幕に嘴を端挟むことさえできずこっそりと自室に帰り、目覚めたデルフリンガーは眠る前より事態が悪化していることを知り――泣いた。 To Be Contined →
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/1785.html
パーティは城のホールで行われた。明日の夜を迎えられない王党派の貴族達は園遊会のように着飾り、御馳走が所狭しと並べられたテーブル達の間に立ち並んでいる。 ジョセフ達は華やかで物悲しいパーティを会場の隅で眺めていた。 パーティの最初に行われた、若きウェールズ皇太子と年老いた国王ジェームス一世のスピーチは臣下を思う王の意気と、死をも恐れぬアルビオン王党派の誇りを改めて証明するものだった。 王は臣下に暇を出し、臣下達は誰一人としてヒマを受け取らず、死のみが待つ戦に赴くことを躊躇わない。 ただ立ち上がるだけでさえ足がよろめくほど年老いた王は、揺ぎ無い忠誠を誓う家臣達を見つめる目に涙を浮かべながら、アルビオン王国最後の宴の始まりを高らかに宣言した。 こんな滅亡寸前の王国にやってきた賓客が珍しいらしく、借物の正装に身を包んだルイズ達の元に貴族達は代わる代わるやってきては酒を料理を勧めてくる。 まだ宴が始まったばかりだというのに、酒が回っているかのように陽気で朗らかに振舞う貴族達は、明日死に赴く悲壮さを微塵たりとも感じさせない。 そんな彼らの誰もが最後に「アルビオン万歳!」と叫んで去っていく。 さしものジョセフもこの宴を馬鹿正直に楽しめるはずもない。だがそれでもジョセフは貴族達に愉快な冗談を返し、彼らの喧笑を巧みに引き出していた。 タバサは勧められた料理を次々と胃袋に収め、キュルケはあくまで宴の雰囲気を崩さぬよう、優雅と気品を漂わせて貴族達との会話に花を咲かせていた。 ギーシュもややぎこちなさを感じさせるとは言え、それでもなお懸命に明るい場に相応しい振る舞いをしようとしていた。が、結局耐え切れなくなったのか会場の隅に座り込んでいた。そんなギーシュを見つけたウェールズが彼に歩み寄ると、二人で何やら会話を始める。 ワルドは社交辞令を巧みに用い、どこに出しても恥ずかしくないパーティ向きの態度で貴族達と語らっていた。 しかしルイズは明る過ぎて物悲しいこの宴に耐え切れなくなったらしく、静かに首を横に振ると外に出て行ってしまった。 足早にこの場を去ろうとする主人の姿に、ジョセフは手に持っていたワイングラスをテーブルに置くと自分もホールを去ってルイズの後を追いかけた。 城中の人間がパーティ会場に集まっている今、城内はまるでホールとは別世界のように静けさと月明かりばかりが支配する広大な箱庭と化していた。 真っ暗な廊下を、ジョセフは波紋の灯りを集めた右腕をかざし、時ならぬ太陽光を頼りに歩く。誰の気配もない以上、特に波紋を隠す必要もない。 やがてホールの喧騒も届かない礼拝堂に辿り着くと、ルイズがそこにいた。 ステンドグラス越しに堂内を照らす月明かりの中、長椅子に座った少女は微かな嗚咽を漏らし続けていた。 始祖ブリミルの像へと続く長いすの間に敷き詰められた絨毯の上を歩いていくと、ほのかな波紋の光に気付いたルイズが後ろを振り向いた。 泣いていたことを何とか隠そうと目元を何度も拭うけれど、拭っても拭ってもルイズの両眼からは涙が止まることはない。 やがてジョセフがルイズの横に腰掛けてしまえば、ルイズはたまらなくなってジョセフの胸に顔を埋めて抱きついた。 ジョセフが来るまでも、ジョセフが来てからも、必死に泣くのを止めようとしていたが、堤防に押し留められていた水流が堤防を破るように感情があふれ出し、迸った。 子供……いや、赤ん坊のように縋り付いて泣きじゃくるルイズを、ジョセフは無言のまま両腕で頭を包み込んで抱き締めた。 パーティが続いている城内で、わざわざ礼拝堂に来るような奇特な人間はいない。ルイズはひたすらに泣き、流す涙も枯れた頃、充血した目でやっとジョセフを見上げた。 それでもしばらくはしゃくり上げる声にならない音が小さな唇から漏れ続けていたが、それも大分落ち着いてきた頃、ルイズは悲しげに言った。 「いやだわ……、あの人達……どうして、どうして死を選ぶの? 訳判んない。姫様が逃げてって言ってるのに……恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの?」 ジョセフはルイズを胸に抱いたまま答える。 「直接聞いた訳じゃないが、殿下は王族としての責任を果たすために死地に向かおうとしとる。生き延びるより壮絶に討ち死にしなきゃ守れないものもあるっつーこっちゃないんかの」 「……何よそれ、よくわかんないわ。愛する人より大事なものがこの世にあるって言うの?」 「あると言う事だろうな、少なくとも殿下にはな」 「わたし、説得する。もう一度説得してみるわ」 「多分ムリじゃろうな。ルイズでもなくてわしでもな」 「どうしてよ」 「レコンキスタのやり口からして、皇太子がトリステインに亡命なんかしたらレコンキスタがトリステインに攻め込む口実を与えることになる。んーまァそうでなくても、何か難癖つけて攻め込んでくるだろうがなッ。 大きな理由としてはそれが一番だろうが、わしはもう一つ理由があると思っている」 「……何よ」 「アンリエッタ王女がゲルマニアの皇帝と政略結婚せねばならんというのを知ってしまったからじゃ。ブリミルに誓った永遠の愛は今でも皇太子の中に根付いておる。そりゃあ皇太子だって自分の好きな女を他人なんぞに渡したくはねーわな。 だがレコンキスタがいつ攻め込んでくるか判らない状況で、ゲルマニアと同盟を結べないトリステインは一溜まりもなかろう。 アルビオン王国は明日滅びることは確定、トリステイン、引いてはアンリエッタ王女を救う為には自分ではなくゲルマニア皇帝と結婚させる以外に道はない。 故に、王女の未練の種になる自分が立派に討ち死にしてみせることで、王女の中から未練を取り払おうとしている、わしにはそう見える。 愛する女に生きていて欲しいからあえて死んでみせる、わしの世界でもそういうこたァしてのけられる奴はそうはおらん。ウェールズ皇太子は随分と立派な皇太子じゃよ」 それに、とジョセフは思った。 もし生き延びてしまえば、王女が馬の骨に嫁ぐのを見送らなければならない。 (そいつぁイヤじゃよなァ) だがそれは言わない。言ってしまえばこれまでの話がダイナシになる。 ルイズはぽつりと、呟くように言った。 「早く帰りたい……トリステインに帰りたいわ。この国嫌い、イヤな人達とお馬鹿さん達でいっぱい。誰も彼も自分のことしか考えてない。残される人たちのことなんて、どうでもいいんだわ……」 若い少女に、全てを察しろというのは酷な話である。だからジョセフはその言葉を否定も肯定もせず、ただルイズの小さな頭を撫でていた。 「でも、でも……!」 ルイズはジョセフのシャツをぎゅ、と握り締めて、搾り出すように呟いた。 「例え結婚できなくったっていいじゃない! 好きな人が生きててくれればそれだけでいいのに! 死んだら二度と会えないのに!」 ヴァリエール公爵家三女でもメイジでもなく、ルイズという一人の少女の言葉だった。論理的ではないが、一理ある。 ジョセフは黙って、胸の中に抱いたルイズの頭を撫でている。ルイズは頭を撫で続けられながら、はっとした顔でジョセフを見上げた。 「……ジョセフ、右手出して」 「右手か?」 包帯が巻かれた右腕を差し出すと、ルイズが手ずから包帯を解いていく。包帯が取られてしまえば、昨夜電撃で焼け焦げた無残な火傷の痕は、既に殆ど治っていた。 ほぽ治りつつある腕を見て、安堵の溜息を漏らした。 「……良かった、殆ど治ってる」 「心配してくれたのか?」 その言葉に途端に真っ赤になった顔で、あ、う、と言葉にならない声を断続的に発し、その後でちょん、と脇腹をつついた。 「……私を守るためにあんな大怪我したんだもの。心配だってするわ――ってカンチガイしないでよ! 使い魔がケガしたんだから主人が心配するのなんて当たり前じゃないの!」 何も言っていないのに一人でヒートアップしてあたふたと言い訳を始めるルイズを、もう一度ジョセフはわしゃわしゃと撫でた。 「ルイズは本当に優しい子じゃな」 「ななな何を言ってるのかしらこのボケ犬!」 茹で上がったタコのような顔で懸命に反論を試みるが、ジョセフはただ優しげに微笑んでいるだけだった。 やがてルイズがジョセフの腕から離れると、もう一度長椅子に座り直した。 しばし静寂が二人を包む。その沈黙を破ったのはルイズだった。 「ワルドに、結婚しようって言われたの」 「……そうか」 無感情に答えたのは、感情を出すと殺気じみたそれしか出ないのが判っているからだった。 「ワルドは……憧れの人だったわ。もしかしたら初恋だったかもしれない」 けれどルイズはジョセフの返答につっかかりもせず言葉を続ける。 「でも……今はどうなのか、自分でも判らないのよ」 互いの父が交わした結婚の約束。頼り甲斐があって優しいワルド。 幼いルイズがぼんやりと思い浮かべていた未来、それが現実になろうとしているのに、今のルイズはそれを無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。 明日滅びる国を目の当たりにしているからだろうか。違う。 親友の思い人が死地に向かうのを見送らなければならないからだろうか。違う。 十年前の美しい思い出、十年も経った昔の思い出。 魔法衛士隊グリフォン隊の隊長になったワルド。昔の思い出のまま、再び自分の前に憧れた憧れの人。 そんな彼が結婚しようと言ってくれたのに。どうして、使い魔の老人に相談なんかしているのだろうか。 自分でも判らなかった。だから答えが欲しかった。 今、自分の心に影を差しているものの正体が、知りたかった。 「……ねえ、ジョセフ。結婚ってどんなもの? ジョセフが結婚した時、どんな気持ちだった? 結婚したら何が変わった? ――どうして、結婚したいって思ったの?」 混乱した心を映す様に、ルイズの問いは順序を得なかった。 ただ心に浮かんだ由無し事を問いかけただけだった。 不意の質問をぶつけられたジョセフは、ふむ、と顎に手を当て考えた。 「そーじゃなァ、んじゃわしとスージーQの馴れ初めから話すとするか。わしがエリザベス母さん……その時はリサリサと名乗っていたが、母さんの召使をしていたのがスージーだった」 「え……ジョセフって貴族なんでしょう? どうして召使と……」 「んあー、わしの世界じゃ五十年前でも身分制度がかンなり平坦になっとったからのォ。わしを育てたエリナお祖母ちゃんもその辺りは気にしない教育をしとったからな。後で結婚した時ゃ普通に喜んでくれた」 ふむ、とステンドグラスを見上げて咳払い一つ。 「スージーは小生意気で小憎たらしくて大分粗忽モノだったが、なかなか可愛かった。まー憎まれ口ばっかり叩き合ってたが、嫌いじゃあなかった。 で、柱の男達との決着をつけたわしは幸運にも漁船に助けられ、一命を取り留めた。ちょーどわしを助けた漁船のオヤジが母さんと知り合いだったんで、そのまま館に運ばれて療養することになった。 あん時ゃマジで死ぬかと思ったわい。左手ブッた切られるわ火山の噴火に巻き込まれるわものすごい高さから海面に叩きつけられるわ左手に海水がシミてそりゃーいてェのイタくないの」 「話が横道にそれてるわよ」 ジト目のルイズのツッコミに、ジョセフは悪びれず答える。 「まァまァ、そんだけ大変だったんじゃ。で、あれやこれやバタバタしてたもんで館にゃわしとスージーQとシュトロハイムだけだった。で、シュトロハイムに迎えが来て、その場しのぎじゃが義手も貰った。でも満足に動けんかったんで、スージーに看病されっぱなしでな」 右手で顎を弄りつつ、五十年前の光景を思い出す。 「ありゃー、もうそろそろ春になる頃合で、三月になったばかりにしちゃけっこう暖かい昼のことだったな。ベッドに寝転がってスージーにリンゴむいてもらってな、食ったんじゃ。 それがなんかえらくウマくてなァ、スージーと一緒に食べてうめェうめェって言い合っとったんじゃ。で、食い終わってもう一つリンゴむいてもらったんじゃが、その時のスージーの横顔がえっれェキレーでなァ」 脳裏に刻み付けたその光景を思い起こし、ジョセフはニシシと笑う。 「その時直感した、『こいつとならけっこーウマくやっていけるんじゃね?』とな。で、『結婚しちまおうぜ、スージーQ』と考える前に口に出とったな。スージーも驚いちゃおったが、満更でもない顔してニッコリ頷いたんじゃよなァーッ」 くくくくく、と膝をバンバン叩くジョセフだが、横で聞いていたルイズは呆れ顔だった。 何故いい年したジジイのノロケを聞かされなくてはいけないのか。 「ジョセフ、今の話の何処に私が参考になる点があったのかしら」 「本題はこっからじゃよ。結婚なんてそうメンドくさく考えるコトでもなくてな、やっちまえばそんな大したコトでもないんじゃな。逆に考えたら、本当に大好きな相手とならわしみたく考えんでスパンッと出来るようなモンなんじゃ。 だがルイズは考えてしまう。何故結婚を躊躇うンか、そこを自分の胸に聞いてみたほうが早いじゃろ」 「…………」 ルイズは、口を閉ざして思考に耽る。 何だろう。ヴァリエールの三女だというのにゼロだと笑われるおちこぼれメイジなのに、スクウェアメイジと結婚できるはずないからだろうか。 妻の話をするだけでこんな嬉しそうな顔する使い魔を元の世界に戻すまで結婚なんかしてられないからだろうか。 それは理由の一つだ。決して小さくはない。だが決定打じゃない。 じゃあ何、と考えようとして――ルイズの耳が真っ赤になった。 かなり早いうちにそこに行き着こうとはしていた。でもその考えを懸命に否定しようとしていた。だが何度考えを巡らせても、そこに辿り着く。 それが本当の気持ちなのかなんて、判らない。でも確かめる価値はあるんじゃないだろうか。 例え使い魔だろうと老人だろうと。 どんなに感情が高ぶった時でも、異性の胸に抱きついて縋り付いて泣いた事などなかったのだから。 意を決して、顔を上げる。そうすればじっと自分を見つめているジョセフと視線が合い―― 「ふんッ!!」 裂帛の気合と共に、渾身のチョップがジョセフの脇腹に入った。 「え、えェーッ!? わ、わし今何も悪いことしとらんぞ!?」 「う、うるさいうるさいうるさいッ!」 脇腹をさするジョセフから顔を背け、荒くなった呼吸と、胸の中で暴れる心臓を宥めにかかる。 これはマズい、これはどうしようもない。ここに来て目を背けている訳には行かなくなった。これは大きすぎる。これでは結婚できるはずがない。 たった今、自分の中を駆け巡った感情は、ワルドの側で感じた事はなかった。 (ど、どうしよう……いいえ、落ち着くのよルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! こういう時は素数を数えればいいってどこかの神父様が言ってたような気がするわッ!) そういう思考に走ること自体混乱のきわみにあるという事からも目を背け、ブツブツと素数を数えるのを訝しげな目で見られながら、何とか心拍数を平常に戻した。 ふぅ、と吐息を漏らしたルイズは、ちら、とジョセフを横目で見た。 「……ね、ジョセフ。さっきの話の続き……聞きたいわ」 「続きか? でも聞いてて面白い話でもないとは思うがな」 「……いいの。私が聞きたいの」 あの悲しいパーティに戻るよりは、幸せばかりが詰まったジョセフの話を聞いている方がずっといいだろう、と。まだ幼い少女にとって、幸せな幻想はまだ必要だった。 それからまた、ジョセフの昔語りが始まった。 色んな事があって、色んな嬉しい事や色んな悲しい事があって、色んな幸せな事があって。 (……ああ、やっぱり。ジョセフを元の世界に戻すまで……結婚なんかしてられないわ) と、責任感の強いルイズは思い。 (……そう言えば、ジョセフが奥さんにプロポーズしたのって……春先だ、って言ってたわ) ラ・ロシェールを出てからここまで張り詰め続けていた気が弛緩し、疲労が眠気を引き連れてきていた。 うっすらと波紋を纏うジョセフの真横は、何となく春の日差しの中にいるような心地よさ。 もうルイズに眠気に抗いきるだけの理由はどこにもなかった。 ジョセフの腕に寄ってしまった頭を引き戻す余力すらない。 (ああ……これなのかな。こういう気分だったのかしら……ジョセフが、結婚してもいいって思った気分って……) 緩やかに着実に眠りに落ちる直前、うわ言の様に、ルイズはジョセフに囁いた。 「ねぇ……後で、結婚断りに行くから……」 きゅ、とシャツの裾を摘んで、言った。 「一緒に、ついてきて……」 ことり、と眠りに落ちた。 * 故郷のヴァリエールの領地。忘れ去られた中庭の池。そこに浮かぶ小舟の上。 ルイズは、誰かの膝の上に座り、当たり前のように誰かに背中を寄せていた。 誰も知らない秘密の場所のはずなのに、この場所を知ってるのはもう一人だけのはずなのに。 目の前で誰かの手が器用にリンゴをむいている。 しゃりしゃり、と小気味良い音を立ててむかれたリンゴは、誰かの手で二つに割られる。 半分ずつになったリンゴをそれぞれの手に取り、それぞれがかじる。 まるで蜜のように甘かった。 二人で美味しい美味しいと笑い合って、食べ終わるとまた背中を預けて寄りかかる。 ふと手を上に伸ばして、誰かの帽子を手に取った。 それは羽帽子ではない。茶色でちょっとボロい帽子。 それを頭に被って、あははと笑う。 そんな、夢だった。 * キュルケ、タバサ、ギーシュはパーティが終わろうとするホールを後にし、給仕にどこで寝ればよいかを聞いた部屋へと向かっていた。 すると暗い廊下の向こうからこつこつと歩いてくる足音が聞こえ、ふとそちらを向いた三人は――開いた口がふさがらない、とばかりに口をぽかんと開けることになってしまった。 廊下の向こうからやってきたのはジョセフとルイズ……正確に言えば、ルイズをお姫様抱っこして歩いてくるジョセフの姿。 大好きなおじいちゃんにだっこされて安心して寝入っているルイズと、至極当然とばかりにルイズをだっこして歩いているジョセフ。 (なんというバカ主従……!) 戦慄にすら似た思いを抱くに至った少年少女の気持ちも知らず、ジョセフは声を掛けた。 「お、パーティ終わったか」 「あ、ああ……終わったよ、ジョジョ」 気分の優れない様子で頷いたのはギーシュだった。 「んじゃ、三人にちょいと頼みたいコトがあるんじゃが。頼まれてくれるか?」 ジョセフの頼みを聞いた三人は、首を傾げた。 「別に構わないけど……それで何をするの?」 三人の疑問を代表して聞いたキュルケに、ジョセフはニカリと笑うだけだった。 「ま、それは後で種明かししてやろう。何もなかったらごめんちゃいじゃがなッ」 くくく、と笑ったジョセフは、三人にどこで眠ればいいんじゃろか、と聞いて共に客人用の部屋へと歩いていく。 ルイズ主従にあてがわれた部屋は、二人用の部屋であった。粗末ではあるがベッドは二つあり、片方のベッドにルイズを寝かせて自分ももう片方のベッドに腰掛けた。 ややあって、ドアをノックする音が聞こえる。 「どちらさんかね?」 扉も開けずに声を投げる。 「私だ。ワルドだ」 「主人は寝ておりますがね。用があるなら明朝にでも」 他人行儀で無愛想な返事にも構わず、ワルドは冷たい声で言った。 「君に言っておかねばならない事がある」 「なんですかな?」 「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」 「はあ」 ものすごいどうでもよさそうに答える。 「婚姻の媒酌を勇敢なウェールズ皇太子に頼めるならこれほど光栄なことはない。皇太子も快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕達は式を挙げる」 ジョセフは言葉が続く間、小指で耳をほじっていた。 「君も出席するかね?」 「挙げるんなら出席しますがね」 ルイズが既に断る気でいることは言わない。 「そうか。では主人の晴れの式に参列するといい」 くぁ、と欠伸をしつつ答える。 「了解しました。んじゃ用事はそれだけですかな」 「ああ」 それを最後に廊下を去っていく足音が聞こえる。 まだ安らかな寝息を立てるルイズを寝かせたまま、ジョセフは手洗いに向かった。 To Be Contined →
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/2313.html
ジョセフを追い出してから、太陽がまた同じ位置にやってきた頃。ルイズはあれから部屋に閉じこもったまま、泣きじゃくるか泣き疲れて寝るかの繰り返しを続けていた。 睡眠の時間こそは普段より多いくらいだが、眠り自体が浅く断続的に寝たり起きたりを繰り返す睡眠が良質なものであるはずもなく、ルイズは目覚めていても薄ぼんやりとした靄が頭に掛かったままになっていた。 そんなろくすっぽ機能しない頭でも、丸一日考える時間があれば、なんとつまらないことで使い魔を追い出してしまったのだろうという後悔に至るのは容易いことだった。 客観的に見れば、自分がいない間に、部屋でメイドと一緒に食事してただけである。 別にベッドの上でいかがわしいことをしてたわけでもなく、メイドにパイを食べさせたフォークで自分もパイを食べただけでしかない。 だがそれがどうしても許せない。理由は判らないが、どうしても許せないのだ。 怒ったりする事ではないというのはとっくの昔に理解している。ジョセフをクビにして追い出してしまったのは明らかな失策だなんて、言われなくても判っている。 けれども、言葉に出来ない感情は正論なんか吹き飛ばす荒々しさをまだ失っていない。 悲しいのか悔しいのか、それとも憎いのか。その全部のようで、その全部ではない。 ベッドに倒れ伏したまま、自分の中の渦巻く感情の正体を探ろうとする。何度も試みて、何度も答えの見つからない問い掛けをしようとしたその時、ドアがノックされた。 ジョセフが帰ってきたのだろうか。 鏡は見ていないが、泣き続けた自分の顔なんか例え使い魔と言えども見せられたものではない。もう一度ノックが聞こえる前に、ルイズは頭を隠すように毛布に潜り込んだ。 それから間もなく、部屋の主の許可もないうちにドアが開いた。 ルイズは毛布の隙間から視線だけをちらりと入り口にやる。 ドアを開けて入ってきたのは、キュルケだった。燃え盛る火のような赤毛を揺らし、褐色の肌を制服へ窮屈に詰め込んでベッドへと歩み寄ってくる。 「……誰が入っていいって言ったのよ」 「入っていいなんて言うつもりなかったくせに、何言ってんだか」 そう言い放つと毛布に包まったままのルイズの横に座った。 「あんた達が昨日の夜から王子様の部屋に来ないから、余った食事はシルフィードのエサになってるのよ。で、どうするの。ディナーは二人分の食事をキャンセルしていいのね?」 ジョセフの姿が昨日から見えず、真面目なルイズが授業を休んでいるとなれば、何かしら二人の間に起こったという答えに辿り着くのは、容易なことだった。 だがこの時点で何故ジョセフが不在なのか、という理由を言い当てることまでは出来ない。 と言う訳で、ルイズの部屋を一番訪問しやすい立場にあるキュルケがやってきたというわけだった。 「まあ、詳しい事は判らないけれど。なんでダーリンがいないのかしら?」 問いかける声の余韻が消えてしばらくしてから、もぞり、と毛布が動いた。 「……ジョセフが……」 「ダーリンが?」 「……メイドと、部屋でごはん食べてた」 「ふんふん、それで? お腹も膨れたところでメイドをベッドに連れ込んでたの?」 「……違うもん」 「じゃあ何よ。まさかメイドと一緒に食事してただけで追い出したの?」 「……違うもん」 「……じゃあ、キスくらいしてたとか?」 「……違うもん」 もどかしい謎当てをさせられることになったキュルケは、豊かな赤毛をかいた。 その場面を目撃したルイズが怒ってジョセフを追い出しそうなシチュエーションを幾つか想像してみる。 一緒に食事するより重くて、キスするよりは軽い場面…… 「……ええと。ダーリンがメイドにあーんしてたところを見ちゃった?」 「…………」 返事がないということは、正解だと理解する。そして導き出された正解のあんまりにもあんまりな下らなさに、キュルケは思わず深々と溜息を吐いた。 「……あのねルイズ。そのくらいで使い魔追い出してたら何十回使い魔召喚しても追いつかないわよ」 「……それだけじゃないもん。あーんしたフォークで自分もパイ食べたんだもん」 間接キスも追加された。だからどうしたと言うのだ。 「なるほど。話を総合すると、自分の部屋でメイドなんかと二人きりで食事して、あーんまでして、しかも間接キスまでしたのが許せなくて思わずダーリンを追い出した、と」 再び無言を貫くルイズを見下ろし、キュルケは大きな呆れの気持ちの中に少しばかり安堵の気持ちを混ぜこぜていた。 ヴェストリ広場の決闘があってから、キュルケの照準ド真ん中にジョセフは収まっている。 最初のうちはヴァリエールの恋人を寝取るツェルプストーの伝統に従った、軽いお遊びのようなものだった。 それがフーケ追跡やワルド戦、アルビオン国王と三百人のメイジを騙してのニューカッスル城の爆破解体と岬落としを目撃した今となっては、本気でジョセフをツェルプストーに引き込もうと考えていた。 どんな人生を歩んできたかは知らないが、どうやらジョセフの中に蓄積された知識と知恵は並大抵のものではないということは嫌と言うほど思い知った。もしあの知識を然るべき場所で使えるなら、ツェルプストー家が大きく隆盛するに違いない。 未だに平民の地位も低く、メイジにあらずんば人にあらずという風潮が色濃いトリステインでこれだけの能力を死蔵させるより、平民でも実力と財力があれば貴族となれるゲルマニアに来ればすぐにでもジョセフは貴族になれるだろうと思っている。 ツェルプストーにジョセフを引き込む為に必要ならば、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーをジョセフの花嫁にしてもいいとすら考えていた。 しかしキュルケ本人の覚悟がそこまで固まっていても、その覚悟を表に出すには幾つかの障害が余りにも大きすぎるということも彼女は理解していた。 一つは、ジョセフが煮ても焼いても食えないジジイだということである。 ゼロのルイズが召喚した平民の老人という状況から、決闘騒ぎという踏み台はあったものの、口八丁手八丁で学院中の人間の心を貴族平民問わず我が物にしてしまえる手腕。 お調子者のように見えるが、よくよく観察していると下手に深みに嵌らない様に周囲との距離を上手に調節しつつも、周囲にはそれを悟らせない人間関係構築の巧みさ。 今ではクラスメートの大半はジョセフの友人になっているし、平民の使用人に至ってはジョセフを嫌う人間なんかいないのではないかという領域に至っている。 下手に手を出すと逆に丸め込まれたりしかねないので、いかに攻めるかをしっかりと考えなければならない。胸元見せたり足を組んだりするだけでホイホイついてくる同級生とは比べ物にならない強敵だという認識はある。 (胸元見せたら鼻の下伸ばすけれど) オールドオスマンもそうだが、男と言うのはいくつになってもスケベだから困る。 ジョセフ本人は故郷に妻もいるし孫もいると言っていたが、キュルケは直感的に「押したら何とかなりそう。バレなきゃセーフだと考えてるタイプ」と判断している。 次にルイズとジョセフが『バカ主従』だということ。 ジョセフはルイズをそれはもう猫可愛がりしている。アルビオン行では事あるごとに可愛がりっぷりを披露されて胸焼けがしたくらいだ。 しかもルイズもそれを嫌がるどころか悪く思っていないのは誰が見ても明らか。口では「そんなの関係ないんだから!」と言っておきながら、嬉しそうに緩む顔をなんとか隠そうとする努力には頭が下がる。 (そんなのどうせ周りにばれてるんだから諦めればいいのに) 何度もその言葉が口をつきそうになったが、言ったところで顔を真っ赤にして頑張って否定するだけなのは目に見えてるので言わないことにしている。 それなのにいざジョセフが他の女と仲良くするとこうやって怒り出す。 フリッグの舞踏会の夜にフレイムと話していた予想がこれ以上ないくらいに大当たりしていた。これが自分の部屋に連れ込んだりしていたら①どころか②か③の二択になっていたところだった。それもこの様子なら、かなりいい確率で②になりかねない。 事を急いて下手に手を出してなくてよかった、というのが安堵の気持ちであった。 ――そして最後の一つ。 キュルケは溜息を吐き出して、毛布から出てこないルイズを一瞥し、足を組み直した。 「このキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは……」 昔、劇場で見た歌劇の主人公が言っていたセリフを思い出しつつ、独り言を始める。 「いわゆる好色のレッテルを貼られているわ」 ルイズから視線を外し、何もない空間に視線をやりながら言葉を続けていく。 「つまらないやっかみでケンカ売って来た相手を必要以上にブチのめしちゃって病院から未だに出てこないのもいる。伝統と慎みを語るだけで恋人を繋ぎ止める努力もしないんで気合を入れてあげたレディはもう二度と学院に来てないわ。 私の興味を引けなくなった殿方にはすぐにさよならするなんてのはしょっちゅうよ」 そこまで言って、ルイズがくるまっている毛布が身動き一つしていないのを確認し。 息を一つ吸ってから、淡々と語っていた声色に少しずつ熱を篭らせていく。 「けれどこんな私にも、手を出してはいけない相手はわかるわ」 細く長い指を毛布にかけると、有無を言わさず毛布を引き剥いだ。ネグリジェ姿のルイズが窓から差し込む夕日の光に晒される。 「な、何をするのよツェルプストー!」 当然上がる抗議の声にも構わず、キュルケはやっと顔が見えたルイズに向かって一喝する。 「ただ泣いて世話してもらうだけの赤ん坊を可愛がっているお爺さんは寝取れないわ!」 予想もしなかった鋭い舌鋒に、ルイズは思わず次に上げようとしていた抗議を飲み込んでしまった。 これがキュルケの最後の理由だった。 恋人を寝取るのは特に問題ない。 本当に相手を大切に思い、相手に大切に思われているなら、たかが色仕掛け一つで靡くはずもないからだ。 ゲルマニア貴族からしてみれば、トリステイン貴族はでんとふんぞり返って相手からの寵愛を求めるばかりで、自分からは何も与えようとしない高慢ちきな怠け者でしかない。 だからトリステイン貴族の雛形のようなヴァリエールは、ツェルプストーに恋人や婚約者だけではなく配偶者まで寝取られるんだ、とツェルプストー一族は考えている。 しかし、そんなツェルプストーの家風を色濃く受け継いでいるキュルケも、ジョセフへ本格的にアプローチしないのは、ジョセフはルイズの恋人ではなく、保護者でしかないと考えているからだった。 ツェルプストーの家に生まれた者が、いけすかない女から恋人を寝取ることはあっても、赤ん坊を可愛がっているおじいちゃんを寝取る訳には行かない。 保護者を取り上げられた赤ん坊がどうなるかなど、考えなくても判る。 「ましてやメイジにとってパートナーであるはずの使い魔を大切にしないで追い出した……あんたがやったのは、そういうことよ!」 矢継ぎ早に繰り出されるキュルケの言葉に、ルイズは唇を噛み締めることしか出来ない。 それから数拍ほど間を置いてから、キュルケは静かに立ち上がった。 「あんたが赤ちゃんのうちはダーリンには手を出さないであげるわ、ラ・ヴァリエール。でも良かったわね、その様子だとダーリンはずっとアナタのものだもの」 淡々と語られる言葉は、普段の情熱的な振る舞いのキュルケからは程遠いものだった。 だが、キュルケは怒りが高まれば高まるほど、声は落ち着きを強めていく。いかにも熱を持っていそうなオレンジの炎よりも、青く輝く炎の方が遥かに温度が高いのと同じように。 悠然とした足取りで部屋を去っていくキュルケの背をただ黙って見送るしか出来ないルイズは、静かに閉められたドアを悔しげに睨みつけ……そして、赤ん坊のように泣くことしかできなかった。 * それから二日間、ルイズの部屋の扉を潜ったのは食事を運んでくる使用人だけだった。 とは言え、食事も少しばかり手を付けるくらいで、ほとんど食べ残していた。 一人きりの部屋の中でルイズがやっていたことと言えば、そのほとんどが泣きじゃくるか眠ることだけ。 ジョセフが他の女と仲良くしていた事、つまらない事でジョセフを追い出してしまった事、にっくきツェルプストーから今までにない罵倒を受けてしまった事。 そのどれもがルイズを何度も叩きのめしていた。 涙が枯れるほど泣けば、当然喉が乾く。乾いた喉を潤す為に水を飲めば、喉を潤すのも程々に再び涙が滲み出てきて、またベッドに戻って泣き続けるという繰り返し。 あんまり泣き続けていると泣くのが癖になって泣き止められなくなるが、今のルイズは正にそれだった。 しかし泣き続ける中でも、ルイズの中には反省しようという思いが芽生えていた。 謝りたい。つまらない事で怒って、つまらない事をしてしまってごめんなさい、と。 けれど当の使い魔はもう三日も帰ってきていない。本当に自分に愛想を尽かして、他のどこかにいってしまったのではないかという嫌な想像がどんどん重く圧し掛かる。 感覚の共有も出来ないから、どこに行っているのかなんて少しも判らない。 考えても何も判らないし、考えれば考えるだけ悲しくなるので、考えてしまう時間を出来るだけ減らす為に眠くもないのにベッドに横たわって目を閉じ、ひたすら眠気が来るのを待ち構える。 しかもそのまどろみも、浅い眠りとキュルケからの批難が相まっているためか、ジョセフが他の誰かの使い魔になっているという悪夢じみた夢ばかり見てしまうものだから、どれだけ眠っても逆に疲れる有様だった。 ギーシュの使い魔になっていたこともある。ジョセフの主人になったギーシュは使い魔の平民に決闘を挑まれてボロ負けするというはなはだ不名誉な事態になったが、それからは友好関係を深めていたらしい。 毎日のようにギーシュと額を突き合わせてはよく判らないデザインのワルキューレを多く作り、つまらないことで二人とも盛り上がっていたようだった。 それにしてもモンモランシーがいつも二人を見てよだれを垂らしていたのはどうしてなのだろうか。 タバサの使い魔になっていたこともある。ジョセフを召喚したはずなのに、何をどうしたのかは知らないが当然の様にシルフィードもいた。 タバサは読書を続け、シルフィードはエサを食べ、ジョセフはふらふらとそこらをほっつき歩いていて……特に現実と変わりがないように見えた。 一番腹立たしかったのがキュルケの使い魔になっていた時だった。 ジョセフを召喚してから一週間後、キュルケはそそくさと魔法学院を中退して故郷に帰ってしまった。そんなキュルケを口さがない生徒達は好き勝手に中傷した……が、数年後に再会した時、ゲルマニアは女王の治世を迎えていた。 褐色の肌を持つ女王の横に、宰相の服を着てニヤニヤ笑っているジジイが立っているのを見た途端、ルイズはベッドから跳ね起きた。 他にも色んな知り合いの使い魔になっている夢を見続けたルイズは、たった二日で大分やられてしまっていた。 今日何度目の目覚めなのか数える気もないルイズは、カーテンを閉じたままの窓を見る。日の光が差し込んでこないところを見ると、夜になっているのは判るが今のルイズにはあまり関係ないことだった。 努力の甲斐あって眠りにつこうが、数時間ほどしか時間は進まないのが判っていても。ほんの一時の逃避を求めて、ルイズは今日何度目になるか判らないまどろみに落ちていく。 (……本当に私、赤ん坊だわ。自分じゃ、泣くか寝るしか出来ないんだもの……) くすん。と鼻をすすり上げながら、頭に浮かんだ思いは、やっと訪れた眠気に掻き消えた。 ――そして、次にルイズが目覚めた時。 重い瞼を開いて最初に見えたのは、まだ日の光も差し込まないベッドの上で、途切れないいびきをかいている使い魔の横顔だった。 ひ、と息を飲んで跳ね上がった心臓を抑えるように薄い胸に手を当て、何度か大きく深呼吸をする。 そぅ、と手を伸ばして頬をつついてみる。 「んぁ」 マヌケな声を漏らして首を揺らす仕草を見れば、ふわりと頬が緩み、安堵が広がった。 しかしその柔らかな気持ちも、すぐさま込み上げてきた言い様のない怒りに塗り替えられていく。怒りに任せて右手をぴんと伸ばし、親指を手の平にぎゅっと押し付け―― 「おふっ!」 脇腹に渾身のチョップを叩き込まれて無理矢理眠りから覚まされたジョセフが、恨めしそうに主人を見やった。 「……人が気持ちよく寝てるのに何すんじゃ」 「……ご主人様ほったらかしてどこに行ってたかと思ったら、なんでご主人様のベッドで勝手に寝てるのか。納得の行く説明をしてもらおうかしら」 そう言う間もルイズのチョップはひっきりなしにジョセフの脇腹にめり込み続けていた。 「おぅっ。ちょっと待て、説明してやるからチョップを止めてくれんか」 なおも手刀を放とうとしたルイズの手をつかんで攻撃を止めさせると、ジョセフは苦笑しながら身を起こした。 「いやな、ちょっと買い物に行ってきた」 「買い物って……お金はどうしたのよ」 「ちょいとトリスタニアで賞金稼ぎの真似事をな。あの辺りは仕事が結構ある」 枕元にあった帽子を被りつつベッドから降りると、テーブルの上に置いてあった紙袋を持って再びベッドに戻ってくる。 「ほらルイズ、お土産じゃ」 紙袋から取り出した何かが、ルイズの手の上に置かれた。 反射的に受け取ってしまったそれが何か確認しようとするルイズの頭からは、既に眠気は吹き飛んでいた。 「……帽子?」 どこからどう見ても何の変哲もない帽子。 具体的に言えば、ジョセフの頭の上に乗っている帽子と全く同じデザインの帽子だった。 「何を買って来ようか悩んだが、この前、わしの帽子かぶっとったじゃろ。じゃから、この帽子買った店で買ってきた」 ニューカッスルで帽子を無くしているので、今のジョセフが被っている帽子はトリスタニアの帽子屋で買ったものである。 「わしの新しい帽子をルイズに買ってもらったお返しって言ったらヘンな話じゃが、この前なんか知らんがルイズを怒らせたお詫びも込めて、ということでどうじゃ」 自分がいない間、主人がどうしていたかなんて少しも想像が出来ていない、暢気な物言い。 普段ならここでかんしゃくを起こして怒り出す流れだった。 しかしルイズは、受け取った帽子を黙って被る。 ルイズの頭のサイズより少しだけ大きい帽子は、主人より背の高い使い魔の視線からルイズの顔を隠す。 両手でつばを掴んで更に帽子へ頭を埋もれさせると、ルイズは何も言わずにジョセフの胸へ帽子越しに額を押し付けた。 普段の高慢ちきでけたたましい主人とは違うしおらしい態度に少しだけ目を丸くしたが、今回は減らず口を叩かず胸の前にいる主人の頭を優しく抱いた。 陽だまりの様な匂いがする腕の中に抱かれながら、ルイズはジョセフには判らないよう、ブリミルへ感謝の祈りを捧げるうち、知らずに眠りについていた。 この眠りは夢も見ない、深い安らかな眠りだった。 * 次の日の朝。 キュルケは今日も変わりなく身支度を済ませると、フレイムを従えて自室の扉を開ける。 「ほら何してんのよジョセフ! 早く行かないと朝食に間に合わないわよ!」 「そんなに慌てんでもまだ大丈夫じゃて!」 すると、少女と老人の騒がしいやり取りが聞こえてきた。 薄く化粧を乗せた顔が、優しく緩む。 「……ま、雨降って地固まるって言ったところかしら。大体予想通りの結果だわね、賭けるのもバカバカしいくらいのオッズだけど」 せっかくだから部屋から出てきたところをからかってやるとするか。 そう考えたキュルケは、緩く腕を組んで壁に凭れ掛かり、ルイズとジョセフが出てくるのを待ち構える。 サイレントの魔法も掛かっていない部屋からは何をしているのかは知らないが、どったんばったんと騒音が聞こえてくる。 「ほら、行くわよ!」 一方的に出発を宣告したと同時に、扉が開く。 そしてキュルケの視界に次に飛び込んできたのは―― ジョセフと同じデザインの帽子を被ったルイズだった。 あんまりにも予想を超えた大穴の出来事に、キュルケは完全に虚を突かれた。 「そんなトコで何してんのよ」 思わず呆然と突っ立ってしまっていたキュルケを、帽子の下から訝しげな目で見やるルイズ。百戦錬磨のキュルケにしても、ここまでとは全く考えが及ばなかった。 「……ええと。……その、帽子は?」 「ジョセフのお土産」 顔を赤くもせず、恥じらいもせず、ごまかしもせず、きっぱりと言い切った。 「ちょっとサイズが大きいけれど、そのうち慣れるわ」 扉の鍵を閉めると、ジョセフを引き連れて凛とした足取りで廊下を歩いていく。 そして階段に差し掛かったところで、まだ一歩も動いていなかったキュルケに視線を向けると、何でもないことのように言った。 「どうしたのキュルケ……朝食を取りに行くんでしょう?」 言葉の余韻が消えないうちに、ルイズは階段を下りていった。 ルイズとジョセフの姿が見えなくなって数秒してから、キュルケは無意識に息を呑んだ。 (まるで10年も修羅場をくぐりぬけて来たような……スゴ味と……冷静さを感じる目だわ……、たったの二日でこんなにも変わるものなの……!) つい二日前まで赤ん坊と変わりなかったルイズは既にいないことを、キュルケは悟った。 そしてジョセフを寝取ることがどうしようもなく難しくなったことも、悟る。 「ふ、ふふふ……」 しかし、艶やかな形よい唇から漏れたのは。 「ふふふふふ……そうよ……そうじゃなくっちゃあいけないわ、ルイズ。ツェルプストーの因縁の相手が泣いてるだけの赤ん坊じゃあ面白くもなんともないわ……」 これから待ち構える展開を待ち望んで笑う声だった。 「いいわ、ラ・ヴァリエール! アンタは赤ん坊でいる事ではなく自分の足で立つ貴族である事を選んだという訳ねッ!」 その時、キュルケが露にした歓喜の理由は、彼女自身にも理解できない。 しかし、確かに彼女の中に歓喜の炎を灯したのはルイズだった。 一頻り溢れ出した笑いが止まった頃、傍らで静かに佇んでいたフレイムの頭に手を伸ばし、優しく撫でつけた。 「さあフレイム、今日から忙しくなるわよ」 きゅる! と嬉しそうに鳴いたサラマンダーは、主人の後を付いて歩き出した。 To Be Contined → 戻る
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/2434.html
ルイズは無力だった。 空から砲弾が降り注ぐ中、彼女は平民と同じようにメイジ達が張り巡らせる風の障壁に守られているしか出来なかった。 何も出来ず空を見上げる彼女の目には、知らないうちに涙が溜まっている。 戦場にやって来たはいいものの、彼女はただの少女となんら変わりはない。杖を掲げれば爆発くらいは起こせるが、数多く降る砲弾の一つや二つ爆発させたところで、現状を打破できる訳でもない。 むしろまかり間違って風の障壁を爆破させてしまったりすれば目も当てられない。 自分を守ってくれる使い魔は空の上で飛行機に乗って戦艦に立ち向かっている。 竜騎士隊を全滅させた飛行機も、戦艦と比べれば鯨と羽虫のようなもの。しかしそれでも逃げようとする気配は見えない。空高く舞い上がり、急降下しながらレキシントン号に白い光を次々と打ちかけている。 だがレキシントン号はビクともしない。もう一度同じ動きを繰り返したが、それでも結果は同じだった。 召喚してから今まで、常識では考えられないような結果を生み出してきたジョセフでもこれが限界なのだと、心のどこかが答えを出していた。 (もうダメよ……もう、アンタに出来る事なんかないんだから! 早く帰りなさいよ、諦めて! ほら、もう日蝕の輪だって出来てきてるじゃない……!) この世界と異世界を繋ぐ扉らしい日蝕の輪。太陽と二つの月が重なる事によって発生するそれは、あと数分ほどで出来上がるだろう。 後はあの輪へ飛び上がって元の世界に帰ればいいだけだ。もうこんな戦争に関わらなくてもいいんだから―― 焦燥渦巻くルイズの思考に、突如別の何かが飛び込んできたのはその時だった。 降りしきる砲弾が風の障壁で弾き飛ばされている光景に、別の光景が混ざって見え始めていた。 (これは……もしかして……) かつて同じ感覚があったことをルイズは覚えていた。 ニューカッスルから脱出する時、アンデッドじみた化物となって戻ってきたワルドと対峙するジョセフの視界が映り込んできたことを。 (ジョセフの見ているものが、また見えてきた……) 右目をつぶり、左目だけに意識を集中させる。 しかし見えたのは、狭苦しい空間の中で、ハーミットパープルを生やした右手と左手が何か突き出た棒をそれぞれ握り、何か慌しげに視線をあちらこちらへやっている光景だった。足元でデルフリンガーが金具を鳴らしている様子も見える。 ガラスを張った格子の向こうには、青い空と白い雲、そしてレコン・キスタの艦船があった。ジョセフが飛行機の中から見ている景色を見ている、という結論に達するのは難しいことではなかった。 「……何してるのよ」 だがハルケギニアの住人であるルイズには、見えている光景に映る物体が何なのか少しも判ることはなく、ジョセフの視界が見えたからと言って何がどうなっているのか判るはずもない。 ちょうどその時、ジョセフはハーミットパープルを通じてエンジンが焼け付いていることを理解し、デルフリンガーに事態を説明しているところだったが、当然そんな事態が起こっているとはルイズにはおよびも付かない。 しかし普段見ようと思っても見えないジョセフの視界が見えていることは、何かしら緊急事態が起こっているということは判る。 首を傾げたルイズの頭の中へ、突然ジョセフの視界が映り込んできたように、またもや突然激しい轟音と、それに負けないように声を張り上げた誰かの声が聞こえ始めた。 『ふぅーむ。こいつぁ参ったな……掻い摘んで言うと、帰れんくなったっつーこった』 野太い老人の声に、ルイズは小さな肩を跳ね上がらせた。 口調からしてジョセフかと思ったが、どこかしらジョセフの声とは似ていない声質であり、誰か別の人物の声だと考えたその時。 『気楽に言ってんじゃねえよ! しゃあねえ、じゃあどっかに着陸して……』 続けて聞こえてきたのはデルフリンガーの声。こちらは何度も聞いてきた、間違いなくあの生意気なインテリジェンスソードの声であった。 (え!? これは一体どうなってるの……!?) 混乱するルイズの頭の中に、再び聞き覚えの無い老人の声が響いた。 『いや、このままあいつらをほったらかすとろくなことにゃならん』 『おいおい、もう何も出来ないだろ。これ以上何かするってったら……』 老人の声に答えるデルフリンガーの声。 そこに来てルイズは、この聞き覚えの無い老人の声の主はジョセフである、と判断した。聞こえてくる声が違うのは、何か喉を痛めるような出来事があったのだろうと考える。 デルフリンガーと会話する老人に、ルイズの心当たりは一人しかいない。 一般に、自分の声を録音して聞いた時に自分の声でないように聞こえるのだが、発声する本人は自分の口から出た声の他に、声帯の震えが頭蓋骨を通じて直接伝わっているもう一つの声も同時に聞いている。 自分の声を録音して聞いた時に違和感を感じるのは、頭蓋骨を通して伝わる声が聞こえず、自分の口から出た声のみを聞く為に起こる現象だからである。 ルイズがジョセフの聴覚を共有している今、ルイズが聞いているのはジョセフ本人が普段聞いている声であり、すぐにジョセフの声だと判別出来ないのは自然なことであった。 さて、そして先程聞こえてきた言葉を思い返し、その意味が理解できた途端、ルイズの顔から全身に向けて鳥肌が走る。 ――帰れなくなった。 (え、どういうこと――) 更に意識を集中させ、ジョセフの言葉から何が起こっているのかをより知ろうとする。 『このゼロ戦のパイロットには伝統的な戦法があってな』 『おい。ちょっと待て。もしかして、この飛行機をあのデカブツにぶつけようとか、そんな無謀なことを考えてるわけじゃないよな?』 『よくわかったな』 『……無茶苦茶だ――』 「ちょっと!! 待ちなさい!!」 『――そりゃねえよ』 『なぁに、わしは手近なフネに飛び移ってハイジャックするつもりじゃ。死にはせん』 声を張り上げるが、ジョセフには全く届いていないようだった。 (……まずいわ!) このまま手をこまねいていれば、ジョセフは飛行機と共に戦艦に突っ込んでいく。 それを今すぐ翻意させられるとすれば、自分かデルフリンガーしかいない、が。 『なぁに、わしは手近なフネに飛び移ってハイジャックするつもりじゃ。死にはせん』 『おい、考え直そうぜ。それはあんまりにもあんまりだ』 召喚してからさして時間が経ってないとは言え、声のトーンで何を考えているかくらいは判るようになっている。 ジョセフは既に覚悟を決めているし、デルフリンガーもその無謀な挑戦を止めようとはもう考えていないのは丸判りだ。 (考えなさいルイズ! 今、ジョセフに命の危険が迫っているからジョセフの見ているものや聞いているものが私に伝わってくる……) 一般的なメイジとは違って、意識の共有はよほど切羽詰った時にしか出来ないと言う事ならば――ジョセフに自分の見ているものが見えるかどうか判らないが、今すぐに手を講じられなければ、ジョセフが死ぬ。 ルイズは手に持っていた杖の先端を自らの喉元に突き当て、声を張り上げた。 「待ちなさい! そんな勝手なこと、主人の許しもなしにやらせないわ!」 『ルイズ!? ルイズなのかッ!?』 (届いた!) まかり間違って一言でも呪文を唱えれば爆発魔法で首から上が消し飛ぶ。 それを命の危機と判じられるルーンの判断への感謝を後回しにし、矢継ぎ早に叫んだ。 「アンタ一人が犬死にしたってどうにかなるわけじゃない! いい年して何を思い上がってるのかしら、自分だけが死ねば何とかなるだなんてお門違いもいいところだわ!」 空からの砲撃が段々と数を減じてきている中、一人叫び出したルイズの言葉に構う者は周囲にはいない。 『いや大丈夫だっつっとるじゃろ! 乗っとる飛行機墜落するんもこれで五度目じゃから安全に脱出するコツも知っとる!』 「そういう問題じゃなくて! ジョセフ、アンタは私の見てるものが見えるの!?」 『ああ、見えるが……』 ジョセフの訝しげに問う声に、ルイズはウェールズと、その腕に抱かれているアンリエッタをしかと右目に捕らえた。 「いい!? ジョセフ、アンタが波紋やスタンドを使えるように、私達には魔法があるの! ずっと前にお母様から聞いた事があるのよ……王家の人間にだけ許される、スクウェアなんか目じゃない、『ヘクサゴン・スペル』と呼ばれる魔法が!」 始祖ブリミルとその弟子達の血統を色濃く受け継ぐ王家の人間の詠唱が可能とする、伝説の魔法。ルイズはそんなものを見たことなど一度もない。母からこのような魔法も存在する、と聞きかじっただけでしかなかった。 果たしてあの二人がヘクサゴン・スペルを用いる事ができるのか、よしんば唱えられたとしてもあの艦隊に打撃を与える事ができるのか。そんな事は判る筈もない。 だが、ルイズの唇はそれをよく見知っているかのように、澱みなく言葉を紡いでいた。 「今ここには、水のトライアングルであられるアンリエッタ様と風のトライアングルのウェールズ様がおられるわ! この砲撃が終わったらお二人が詠唱を始めるのよ、アンタがそこにいたら魔法の巻き添えになるだけよ! これは命令よ、今すぐそこから離れなさいッ!!」 ジョセフを使い魔としてから、ずっと見てきたものがある。 まるで魔法のように、嘘を真実に変えてしまう口先の巧みさ。舌先三寸で人を言いくるめる話術。相手の欲するものを看破し、代わりに自分の欲しいものだけを差し出させる公称術。 融通の利かない真っ直ぐな気性を持つルイズは半ば呆れて半ば感心しながら、あっけらかんと人を騙してみせるジョセフを見てきたのだ。 今、ルイズは一世一代の大嘘が自分の口から出て来たことに今更ながら気が付いて、自分自身で驚いていた。 客観的な時間にすれば、数秒も要さない僅かな時間だった。だが、当のルイズにはその何十倍もの時間が経過したように思えるほどに長い時間が過ぎた後。 『――判った』 短い言葉が頭の中に響いたその時、ルイズの左目は再びコクピットから地上の戦場を映し、それっきりジョセフの声も聞こえなくなる。ルーンが、ジョセフの命の危険が去ったと判断した、ということだった。 バネでも仕込まれていたかのような動きで空を見上げれば、飛行機が急旋回して艦隊から離れていくのが見える。 力を込めすぎて強張っていた手をそっと下ろして杖を自分の首元から離すと、安堵を多分に混ぜこぜた空気を身体の底から搾り出すように吐き出した。 そして一度、二度、と深呼吸を繰り返せば、体中に浮ついたような間隔が広がり始め、やがて頬を大きく吊り上げる笑みが知らず知らず浮かんでくる。 (ああ……そうか、こういう気持ちなのね) ここに至って、ルイズはジョセフの心を理解したような気がしていた。 嘘やはったりを利かせて相手を騙す。たったそれだけの事が、こんなに楽しいだなんて。いつもジョセフが満面の笑みを浮かべてたのもよく判る。 「そうか、そういうことなのね……」 見る見る間に遠ざかった飛行機を見上げながら、一人ごちた。 終わりがないように思える艦砲射撃も、弾丸には限界がある。 だが、砲撃を防ぎ続けるトリステイン軍の士気の減衰する速度はずっと大きい。 魔法の障壁は今だ健在とは言え、メイジの恩恵を受けられない平民の傭兵達の被害はかなり大きい。 ラ・ロシェール周辺の地形が大きく変わってしまった頃、これ以上の砲撃は金の無駄遣いと判じたアルビオン艦隊は砲撃を止める。そして損耗など僅かにもないアルビオンの地上部隊が鬨の声を上げて押し寄せてくるのが、肉眼ではっきりと見えていた。 勝利を疑うどころか、これからの虐殺と略奪に目を輝かせている様さえ見えそうな、それほどの勢いで押し寄せるのを見たアンリエッタは、元より白い顔を更に白くし、自分をしかと抱きしめるウェールズへ縋るような視線を向けた。 「ウェールズ、様……」 アンリエッタの回りに配された将兵は、名のあるメイジばかり。あれだけ降り注いだ砲弾を受けてもなお、被害はほぼないと言って良かった。 だが、うら若き少女でしかないアンリエッタの心が恐怖でくず折れずに済んだのは、愛するウェールズの腕の中にいたからということでしかない。 ウェールズは、か細く自分の名を呼ぶアンリエッタの艶やかな髪に手を差し入れると、髪を梳く様な愛撫を与えた。 「……アンリエッタ。君は覚えているかい、僕達が初めて出会った……ラグドリアンの夜を」 戦場の中、その声はあまりにも優しく、周囲に誰もいないかのような甘い囁きだった。 「忘れるはずありませんわ! わたくしの人生の中で、あの夜は最も美しい記憶ですもの!」 「あの夜、君は誓ったね。ラグドリアンの湖に住まう水の精霊……又の名を『誓約の精霊』と呼ばれている。その姿の前で為された誓約は違えられることはない、と。その湖で……君は、僕への永久の愛を誓った」 「ええ! あの時の誓いは今も変わっておりませんわ! いいえ、今とは言わず、これからもずっと!」 「だが、僕はあの時、君の誓いに応える事が出来なかった。僕達は王家の人間だ……六千年の歴史を持つ王家の為とあれば、僕達の意思など鑑みられることはない。君もそうだ、国を守る為に、意にそぐわぬ婚姻を強いられる。 君の気持ちを、僕が知らないはずはない。世界中の誰より、一番僕が知っている。そして……僕の気持ちを世界中の誰より知っているのは、君だ。アンリエッタ」 陶器のように白かったアンリエッタの頬が、ウェールズの言葉を一言聞く度に、まるで花が色付くような美しい血色を取り戻していく。 「君を不幸にすると知っていて、永久の愛を誓うことは僕には出来なかった。だが、今の僕は違う。アルビオンの大陸から、彼に無理矢理連れ出され……僕は、アルビオン王家の皇太子ウェールズではなく、ただのウェールズになれたんだ」 ウェールズは艦隊の向こう、まるで豆粒のように見える飛行機を見上げ、目を眇めた。 「今、僕がこうやって君を抱きしめているのは……親愛なる友人、ジョセフ・ジョースターの尽力あってこそだ。彼があの飛行機械に乗って戦いに馳せ参じたのは何故だと思う、アンリエッタ!」 周囲の喧騒も、ここが戦場の只中であるということも、今のアンリエッタにはなんら関係の無いことだった。ただ、ウェールズが紡ぐ言葉をたった一言すら聞き逃すまいと、ただ愛する青年の姿だけを見つめ続けていた。 「自分をジョジョと呼んだ友人が困っているなら、助けに行くのが当たり前だと! たったそれだけの理由で、彼は死地に赴いてくれたんだ! 僕達は彼の厚意を受け取るだけじゃいけない! 黄金のように輝く彼の誇りに報いる誇りを見せなくてはいけない! そうでなくては……格好悪いじゃあないか! 誇り高きメイジとして、彼の友人として、見せなければならないものがあるッ!」 ウェールズは体の中から迸る感情を抑えようともせず、腕の中にいる少女に向けるには大きすぎる叫びを向けた。アンリエッタもまた、彼の叫びに眉を顰めることも無く……むしろ、陶酔しているかのように、ウェールズだけを青の瞳一杯に映していた。 ウェールズは、アンリエッタを抱く腕に力を込める。少女の細い肢体へ腕を食い込ませようかとするように、両腕でひたすらにアンリエッタを掻き抱いた。 「だから……だから! 僕に力を貸してほしい! 僕の愛するアンリエッタ……!」 抱擁と言うには、無骨かもしれなかった。 しかし、アンリエッタはそれを不快に思うことなど無い。その返答として、自分もまた力の限りウェールズを抱き締めると、彼の胸へただひたすらに縋り付いた。 「ああ……ああ! わたくしは……わたくしは、あの夜からずっと、ずっと、その言葉を求めておりました! あなたに愛される……ただそれだけ……ただ、それだけでわたくしの一生は幸福に彩られるのですもの!」 生きてきて良かった、と思った。この瞬間の為に私は生まれ生きてきたのだ、とさえ思えた。それほどまでに、少女は幸福だった。 知らずに流していた涙を拭うかのように、ウェールズの掌がそっとアンリエッタの頬を包んで、顔を上げさせた。 「さあ、アンリエッタ……私達は在るべき所に帰らねばならない。その為に、やらねばならないことがある。かの謀反者達に、ハルケギニアの王家を敵に回す無謀さを見せ付けねばならない。それが……“僕達”の義務だ」 ウェールズが口にする言葉の一つ一つが、アンリエッタの心をひたすらに高まらせていく。 もう既にアンリエッタの心に、恐怖など一片も無い。彼女の未来は、美しい薔薇色だけが象っていた。今、向かい来る三千の兵より、空を占める艦隊より、ただ愛する青年が自分を腕の中に抱いている事実だけが心を占めていたのだから。 二人は、どちらともなく杖を手に取った。 片手に杖を持ち、もう片腕には愛する者を抱いたまま、詠唱を始める。 『水』、『風』。二つの点が合わさる。水の風が、生まれる。 『水』、『風』。二つの線が交わる。水の旋風が、二人を囲む。 『水』、『風』。二つの三角が重なる。水の竜巻が、屹立する。 水と風の六乗。例えトライアングル同士と言えども、この様に息が合うことなど皆無と言っていい。しかし、選ばれし王家の血がそれを可能にする。 王家にのみ許されるヘキサゴン・スペル。 詠唱が干渉し合い、互いの魔力を更なる高みへと押し上げる。 水のトライアングルと風のトライアングルが絡み合い、竜巻は中心に六芒星を描く。 それは竜巻でありながら、津波。津波でありながら、竜巻。 この一撃を受ければ、どれほど堅固な城砦であろうと為す術も無く吹き飛ぶだろう。 「――まだだ」 まだ、詠唱は止まらない。 「――まだです」 まだ、二人は止まらない。 竜巻は城の様に膨れ上がってなお、ウェールズとアンリエッタの杖から放たれない。 竜巻が描く六芒星が、凄まじい回転を始める。 水と風のトライアングルは、止まらない。 ウェールズは、漆黒の輝きを込めた両眼で遥か上空に鎮座する『レキシントン』号を射抜く。 「――空を飛ぶということはッ!!」 全身から迸る魔力。どれだけ汲み出しても、なお無限に湧き出てくるような感覚さえ抱いていた。 「地面に落ちる『覚悟』を持たなければならないということだッッ!!」 アンリエッタは、艦砲射撃でかつての美しさを損なったラ・ロシェールと、今にも崩壊しそうなトリステイン軍を黄金の視線で見やった。 「私は――アンリエッタ・ド・トリステイン。トリステイン王家の王女です」 全身から迸る魔力。どれだけ汲み出しても、なお無限に湧き出てくるような感覚さえ抱いていた。 「もう恐れはありません……私は私の意志で歩いていく。これが私の――王家の血を継ぐ者の『覚悟』です」 『水』、『風』。 二つの『四角』が生まれ、合わさり、交わり、重なり――高みに上り詰める! 『水』『水』『水』『水』、『風』『風』『風』『風』。 二人の心の高まりが、二人のトライアングルメイジの力を引き出し、二人のスクウェアメイジを誕生させた。 二人のスクウェアメイジが初めて用いる魔法は、六芒星を更に超える八芒星、オクタゴン・スペル。 天さえ貫かんとばかりに膨れ上がった竜巻は、海を丸ごと飲み込んだかのよう。 高く聳える周囲の山々さえ凌駕するほどに成長した竜巻は、最早竜巻と呼ぶには壮大過ぎた。しかしそれを呼称する言葉は、竜巻であった。この場にいる全ての人間が見たことのないほどの、雄大過ぎる竜巻。 そんな巨大な代物を操るのは、たった二人の青年と少女。二人の杖が、空に浮かぶ艦隊に向けられたその時、八芒星の魔法は静かに動き始めた。 最初は人の歩み程度の速さが、ほんの数秒ごとに加速を続けていく。 これまでレコン・キスタが射ち込んだ砲弾や、砲弾で砕かれた岩や人馬。 それらを全て飲み込み、内に含み、空へ駆け上がり、レコン・キスタの地上部隊など眼中にないとばかりに彼等の頭上を跳び越していく。 レコン・キスタ艦隊は、突如生まれて向かい来る巨大な竜巻に恐慌を起こしていた。 必死にこの場から逃げ出そうとする者達は、将の制止など聞けるはずもない。 フネを戦域から逃そうとする者、魔法で逃げようとする者、逃げようの無い者、既に命運を悟った者。 彼らの運命は、一律だった。 竜巻は向かう。レコン・キスタのフネ達を咀嚼し、食らい、更なる勢いさえ増して、『レキシントン号』へと襲い行く。 「“それ”は僕のものだッ!! 返してもらうぞッッッレコン・キスタァァーーーーーー!!」 全長200メイルを誇る戦艦に、青年の絶叫が轟き――これまで竜巻が咀嚼したありとあらゆる全てに噛み砕かれていくのみだった。 十数隻もあった艦隊を一隻の例外も無く飲み込んだ竜巻は、まるで竜が天に戻るかのように雲達を超えて突き上がり……不意に宙返りをした。 凄まじい勢いで天空から放たれる、竜巻の弾丸。 その照準は、レコン・キスタの地上部隊―― 「これが君達の欲したものだッ!! 君達が立ち向かったものだッ!! そして――これこそが、僕達の力なんだッッッ!!」 地上へ向けて撃たれた竜巻の中では、まだ辛うじて『それ』が形を留めていた。 『それ』は、かつて王の手にあったもの。 叛徒達が奪い、汚した『それ』は、今この時、再び在るべき所へ『帰還』した。 「『ロイヤル・ソヴリン』だッッ!!」 振り下ろされる『王権』は、既に戦意など根こそぎ奪われたレコン・キスタ兵達を一切の容赦なく飲み込み……そして、これまでの艦砲射撃など比べ物にならないほど、地図を大きく書き換えさせることとなったのだった。 To Be Continued → 戻る
https://w.atwiki.jp/familiar_spirit/pages/1458.html
風景を薄っすらと染める朝もやの中、ジョセフ達は馬に鞍をつけていた。 三人とも普段通りの格好をしているが、長い時間乗馬し続けなければならないということで、普段の靴ではなく乗馬用のブーツを履いていた。 距離があるにせよ、さしたる不安はジョセフにはない。 一睡もせずに主従揃って侃々諤々の大討論を繰り広げたものの、部屋を出る前に波紋をルイズに流したので、彼女からは十時間熟睡して目覚めた朝のように眠気も疲労も消えている。 デルフリンガーは意外と長尺の剣なので背中に背負うか腰に差すか悩んだが、利便性を考えて左腰にぶら下げることとなった。 「ところでジョジョ。僕も使い魔を連れて行ってもいいかい」 「なんじゃギーシュ、お前も使い魔なんか持っとったんかい」 「そうでなかったら僕も進級出来てないじゃないか」 「そう言えばあんたの使い魔って見た事がないわね。なんだったっけ?」 ルイズの問いに、ギーシュは地面を指差した。 「ああ、ここにいるよ」 「何? 見えないわよ。アリンコでも使い魔にしたの?」 ルイズが目を細めながら地面を見ていると、ギーシュはくすりと笑って後で地面をノックした。 すると地面がぼこりと盛り上がり、そこから茶色の巨大な頭と前足が現れた。 「……何じゃこれ」 「……私に聞かないでよ」 すぐには正体が判らない二人をさておいて、ギーシュは地面に跪いて茶色の生き物を抱きしめた。 「ヴェルダンデ! ああ、僕の可愛いヴェルダンデ!」 「あーと。なんじゃそのでっかいモグラみたいな生物は」 「見たまんまじゃないかジョジョ! これが僕の可愛い使い魔のヴェルダンデだよ!」 「……ああ、ジャイアントモールだったの?」 ルイズの言う通り、それは巨大モグラだった。大きさは小熊ほどもある。 「そうだよ。ああヴェルダンデ、君は相変わらず可愛いね。どばどばミミズはたくさん食べたかい?」 モグモグモグ、と嬉しそうに鼻をひくつかせてつぶらな瞳で主人を見上げるモグラ。 「そうか、美味しかったかい!」 ギーシュは巨大モグラを抱きしめて頬ずりしまくっていた。 「……色々コメントに困るのう」 モンモランシーとの橋渡しをしたことをちょっと後悔したジョセフである。 主にモンモランシーにいらんことしちゃったかなーという類の。 「でもギーシュ、いくらなんでもアルビオンにモグラは連れて行けないわよ。留守番させなさい」 「そんな! こう見えても僕のヴェルダンデは馬と同じくらいの速さで土を掘れるんだよ!」 モグラはおー、と言わんばかりに前足をちょこんと上げてそうだそうだと主張した。 「あの国で地面掘ったりする生き物なんか危ないからダメよ」 きっぱりと言い切るルイズの言葉に、ギーシュは愕然と膝をついた。 「ああ、何という事だヴェルダンデ! 熾烈な運命は僕達を引き裂くんだね!」 脚本主演観客総勢一人の芝居に明け暮れる主人をさておいて、モグラはのそのそと穴から這い出るとルイズへと近付いていく。 「な、なによ」 つぶらな瞳で見上げてくるモグラに気圧されたルイズを、モグラが勢いよく押し倒した。 「ちょ、ちょっと!? 何するのよ! やめ、どこ触ってるのよ!」 鼻先や前足で美少女の身体をまさぐるモグラ。 当然ルイズが大人しくしているはずもないので、抵抗しようと暴れた結果色んなところがめくれたり露になったりするわけである。 「オイコラ。アレは何をしとるんじゃ」 特に押し迫った危険がないようなので静観しているジョセフと、少々首を傾げたギーシュ。 「んー。ヴェルダンデは危害を加えるつもりはないんだけれど……ルイズ! 何か宝石とか身に付けてないかい!」 「ほ、宝石!? それがどうかしたの!」 「ヴェルダンデは僕のために貴重な鉱石や宝石を見つけてきてくれるんだ! ルイズが何か高価な宝石をつけてるから、それに反応してるみたいだよ!」 ギーシュの言葉通り、右手の薬指にはまったルビーを見つけるとそれに鼻先を擦り付ける。 「この! 無礼なモグラね! これは姫様から頂いた指輪なのよ!」 必死にモグラからルビーを逃そうとするルイズと、宝石に追いすがろうとするヴェルダンデ。 これはどっちも引く気配がないと見たジョセフは、やれやれと苦笑しながら一人と一匹の間に割って入ろうとモグラと主人の間に手を差し入れた瞬間。 一陣の風が二人と一匹の間に舞い上がり、ジョセフごとヴェルダンデを吹き飛ばした。 ヴェルダンデは地面に転がって目をくるくる回し、ジョセフは腰をしたたかに打ちつけた。 「誰だッ!」「誰じゃッ!」 二人の男がそれぞれ激昂しながら叫ぶ。 すると朝もやの向こうから、一人の長身の貴族が歩いてくる。 羽帽子が目立つシルエットを見止めたジョセフは、レストランで頼んだ料理に髪の毛が入ってた時と同じくらいのしかめっ面を見せた。 「貴様ッ! 僕のヴェルダンデになんてことをッ!」 ギーシュは怒りに任せて薔薇の造花を振りかざしたが、羽帽子はそれよりも早く杖を引き抜いてギーシュの薔薇を吹き飛ばす。 辺りに舞い散る薔薇の花弁が地面に落ちもしないうちから、ゆっくりと言葉を並べ立てる。 「僕は敵じゃない。姫殿下より、君達に同行することを命じられた。任務が任務だけに、一部隊をつける訳にも行かない、と僕が指名されたというわけだ」 ジョセフとおおよそ同じくらいの背丈の貴族は、羽帽子を取って一礼した。 「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長。ワルド子爵だ」 文句を言おうとしたギーシュは、余りにも相手が悪いと口を噤まざるを得なかった。 トリステイン貴族の憧れである魔法衛士隊の隊長の実力は、ギーシュも十二分に理解している。 「すまないね、婚約者がモグラに襲われているのを見て見ぬ振りは出来なかったのでね」 「フン、剥がそうとしてたわしまで吹き飛ばすたぁいい度胸じゃなッ」 婚約者、という単語を耳にしたジョセフの機嫌が更に急降下していった。 ヴェルダンデから解放されたルイズは、立ち上がることも忘れてワルドを見つめていた。 「ワルド、様……」 ワルドは朗らかな笑みを浮かべながら、ルイズに駆け寄ると彼女を抱き上げた。 「久しぶりだな、ルイズ! 僕のルイズ! 相変わらず君は軽いね、まるで羽毛のようだ!」 「お……お久しぶりで御座います」 突然のことにも、悪い気分はしないのか頬を赤らめてうっすらと笑みを見せていた。 そのルイズの様子も、更にジョセフの機嫌をより一層悪くしていく。 「あ、あの、恥ずかしいですわ……」 「ああ、すまない! 僕の可愛らしい婚約者に久しぶりに会ったものでね、ついはしゃいでしまった! ところで、彼らが今回の仲間かい? 旅を共にするんだ、自己紹介と行こうか」 と、ルイズを下ろしてもう一度羽帽子を被り直したワルドは、ギーシュとジョセフに向き直った。 「え、ええと……ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のジョセフです」 ルイズがそれぞれを指差して紹介すれば、ギーシュは深々と頭を下げた。 ジョセフは不本意そのものな顔はしながらも、一応会釈くらいはした。 「御老人、キミがルイズの使い魔かい。人とは思わなかったな」 (ケッ! ガキにタメ口叩かれる覚えなぞないわいッ!) 学院の友人達と同じような口調と態度で話しかけられて、ジョセフの眉間には深々とした溝が刻み込まれた。 もし敬語で話しかけられても眉間の溝は同じ深さになっていただろう。 とどのつまり、嫌いな相手から何をどうされようが不愉快なことに変わりはない。 「僕の婚約者が世話になっているよ」 「そいつぁどーも」 ジョセフは目の前の男を軽く一瞥して品定めした。 色男なのは認めてやってもいい。だがどうにもいけすかん雰囲気がプンプンする。 こうやって向かい合えば、いやぁな目をしてるのが丸判りだ。 まるで仮面つけたまんま人と話してる様な……使い魔が人だろうと動物だろうとどうでもいい、という目だ。 しかも微笑みがすこぶる上手なのがより一層腹が立つ。この仮面の裏に隠した素顔がどんなものかは知らないが、この目からしてろくなモンじゃないだろう。NYにいた頃に、自分を騙そうと近づいてきた連中と似た、ゲロ以下の臭いが漂ってきそうだ。 ジョセフは舌打ちの代わりに、軽い溜息をつく。 ワルドはジョセフの様子を見て、何やら誤解したらしく朗らかな笑みのままジョセフの肩を叩いた。 「どうした? もしかしてアルビオンに行くのが怖いのか? キミはあの『土くれ』のフーケを捕らえたんだろ? その勇気と才覚があれば、姫殿下の任務も容易くこなせるさ!」 と、豪快に笑うワルドを前にしても、ジョセフの目はあくまで冷淡だった。 (ホリィを掻っ攫ったあの日本人だって、ホリィにあんな目を向けたこたァ一度もないッ) だがルイズはそんな彼の目の光に気付く様子もなく、どうにも落ち着きをなくしている。 ジョセフの口の中に、どうにも苦い味が広がるのを止める事は出来なかった。 ワルドが口笛を吹くと、朝もやの空からグリフォンが降り立ってきた。 ワルドはひらりとグリフォンに跨ると、ルイズに手を差し伸べた。 「おいで、ルイズ」 ルイズはしばらく躊躇いながらも、意を決して差し伸べられた手を取った。 それを見るジョセフは、口の中に詰め込んだ苦虫を咀嚼して飲み込んでいるような表情を隠そうともしなかったが、それを見ていたのはギーシュだけであった。 「では諸君! いざ行かん、我らが姫殿下の御為に!」 杖を掲げて叫ぶワルドのグリフォンが駆け出していく。 グリフォン隊隊長の後ろを付いていくギーシュは感動の面持ちで馬を走らせていき、ジョセフも苛立ちを隠さないまま馬を進ませていく。 いけすかない、から信用ならない、に警戒レベルを上げた男を見上げながら、ジョセフは深く帽子を被り直した。 最初の目的地であるラ・ロシェールはトリステインから早馬で二日ほどの距離にある。 だが学院を出発してからというもの、ワルドはグリフォンをひたすら走り続けさせていた。 途中の駅で馬を二度ほど交換したが、グリフォンは疲労の欠片すら見せずに当初からの速度を崩さず空を駆け続けている。 「グリフォンっつーのはあんなにタフなモンなんか」 「……いくら幻獣だって行っても、あそこまでタフなのはそうはいないはずだよ」 馬は交換していてもまだ背筋を伸ばして騎乗しているジョセフと、少々疲労の色が濃くなってきたギーシュは、前方を大きく前に出るグリフォンを見上げて話していた。 ジョセフは波紋を全身に流している為に疲労も少ないが、ギーシュはそうもいかない。 ギーシュがへばっているために、駅に着くたびに幾らか波紋を流して疲れを軽減してはいるが、常に波紋を流せないのでちょくちょくへばってしまうのだ。 「つーか、急ぎの任務なのは判るんじゃが……あいつ、どうにもわしらを置いていこうとしてるような気配じゃな」 ワルドのグリフォンは隙あらばジョセフ達を置いてきぼりにしようとするかのように、速いペースで休みなく駆け続けている。 「……そりゃそうだ、直々に任務を請け負ったルイズと栄えあるグリフォン隊隊長がいれば、使い魔と立ち聞きしてただけの僕なんていてもいなくてもいいだろうからね」 時折ルイズが後ろを向くと、グリフォンは少々スピードを緩めるが、それも少し時間が経てばまたスピードは元に戻っていく。 「ルイズが心配してくれちゃーおるみたいじゃがな」 最初はぎこちなく見えたルイズの振る舞いも、段々と親しげなものになっているのが見て判る。 「それにしてもルイズも公爵家の生まれだってことをよく忘れられるけど、まさか婚約者がグリフォン隊の隊長殿だなんてね。やはりヴァリエールは名門だな」 感心したようなギーシュの言葉に、ジョセフの顔に再び苦味が走る。 グリフォンの上ではワルドが親しげにルイズと会話するだけではなく、時折馴れ馴れしく肩を抱いたり手を繋いだりしている。 可愛い孫娘が他の男と親しげにしてるだけでも腹立たしいのに、その男はあまりにも信用ならない雰囲気を漂わせている。 しかもルイズがそれに微塵も気付いていないというのが怒りに拍車をかける。 ここでルイズに「あの男は信用ならんから付き合うな」と言っても聞いてくれないことは請け合いである。 ああいう状態の少女に年長者が何を言っても無駄なのは十分理解している。 だがそれで諦めがつけられるか、と言われれば付けられる筈がない。ジョセフ・ジョースターは年のワリに若いとよく言われるが、精神年齢は波紋を流さずともかなり若かった。 「おやジョジョ。何やら剣呑な目つきだけれど……やはりあれか。婚約者と言えども敬愛するご主人様を取られるのはやはりシャクかい? それとも目に入れても痛くない孫娘を他の男に持っていかれるのは頭にくるのかい?」 ジョセフがグリフォンを見上げる視線の質に気付いたギーシュが、にまにまと笑った。 「あん?」 ぎろり、と睨む視線にも竦む気配さえ見せずに、なおも調子に乗って言葉を続ける。 「もしかして、ヤキモチかい? ご主人様に適わぬ愛を抱いたのかい!? 忠告しておくけれど、身分違いの恋は昔から悲劇の種って相場が決まってるんだぜ?」 「やかましいわい。あんまり過ぎた口叩いとるとお前の彼女にオイタをバラすぞ」 「なんだい、あれから僕はモンモランシーに知られて困るようなことは」 「四日前。夜の中庭。栗毛のポニーテール」 「すまなかったジョジョ、もう二度とそんな口はきかないよ」 お口にチャックをしたギーシュから視線を外すと、ルイズが自分を見ていることに気付く。 軽く結んだ唇を開けないまま、ひとまずひらりと手を振って見せた。 馬を何度も換え、休みなく走り通した一行は出発した夜のうちにラ・ロシェールの入り口へ到達した。 早馬でも二日かかる距離を一日足らずで踏破したという計算になる。 だが港町と聞いていたのだが、ここは明らかに海とは無縁な険しい山々に囲まれた山道である。潮の匂いなど微塵も漂ってこない。 それからまたしばらく険しい岩山の間を進むと、峡谷に囲まれた街が見える。 街道沿いに岩を穿って建てられた建物が並ぶ、港町と言う単語からは縁遠い街並みだった。 「ああ、やっと着いた! すごい強行軍だった」 ギーシュの言葉に、ジョセフは怪訝そうにラ・ロシェールを見た。 「ここが港町か? どう見たって山ん中じゃあないか」 「なんだいジョジョ、アルビオンを知らないのかい?」 休憩のたびに波紋を受けたとは言え、疲れは隠せない。 しかし有名なアルビオンを知らない、とのたまうジョセフに、ギーシュは一種の優越感めいたものを滲ませながら言葉を掛ける。 「見たことも聞いたこともないからの」 「それはないだろうジョジョ!」 ジョセフが異世界から来たということを知っているのはルイズとオスマンだけである。 この世界の常識と非常識の区別さえあまり明確ではないのは仕方のないことだった。 「知らんモンはしょうがないわい」 と、この旅の恒例行事になりつつある老人と青年と実りのない口論が再び始まろうとしたその時。 不意にジョセフ達が駆る馬目掛けて、煌々と燃え盛る松明が何本も投げ付けられた。 峡谷を照らす炎に、馬達は恐れおののいて前足を高々と上げようとしたが、まるで彫像のように馬達はぴたりと足を止めた。 「ギーシュッ! 盾を錬金するんじゃッ!!」 松明が投げ込まれた瞬間に、ジョセフは自分の馬に波紋を流して動きを止め、続いてギーシュの馬にも地面を這わせたハーミットパープルで波紋を流し込んで動きを止めていた。 そのため、驚いた馬から振り落とされるという事態を避ける事は出来た。 ジョセフ自身は素早く馬から降りつつ、反発する波紋を流した馬の陰に隠れ、馬を盾代わりにしていた。 「え、あ!?」 何が起こったのか判らずあたふたしているだけのギーシュと馬の陰に隠れたジョセフに目掛け、何本もの矢が夜闇を切り裂いて降り注ぐ。 「ギーシュ!!」 風を引き裂いて降り注ぐ矢を波紋やハーミットパープルでは防ぐには、少し距離が遠い。 すわ、ギーシュが矢の針鼠になろうかと言うのを救ったのは、突然に現れた小さな竜巻だった。 竜巻は降り注ぐ矢を全て打ち落とし、呆然と馬に乗ったままのギーシュにワルドが声を投げた。 「大丈夫か!」 二人に飛ぶ声に、ジョセフは素早く身を走らせてギーシュを馬から引き摺り下ろし、今度はギーシュの馬に波紋を流して即席の盾とした。 「こっちは大丈夫じゃ!」 チ、と舌打ちしたジョセフは、腰に下げたデルフリンガーを鞘から抜いて構える。 既に戦闘態勢に入っていたジョセフの手袋の中ではルーンが輝いていたが、不自由な鞘から抜け出してやっと喋れる流れとなったデルフは、安堵したかのような声を漏らした。 「ひでえぜ相棒、たまにゃ鞘から抜いてくれよ。退屈すぎて死ぬかと思ったぜ」 「すまんな、すっかり忘れてたわい」 軽口に軽口で返しながらも、矢の飛んできた崖を見上げる。 奇襲が失敗したからか、今は向こうも様子見しているらしく矢が飛んでくる気配は見られない。 「ななななななんだ、夜盗か!? 山賊か!? それともアルビオンの貴族連中か!?」 錯乱して薔薇の造花を無闇矢鱈に振り回しているギーシュの頭を軽く小突いて「落ち着け」と言うのはジョセフの役目である。 「メイジがおるんなら松明や矢なんてまどろっこしいモン使わんじゃろ。と言うよりこっちの夜盗や山賊はグリフォンに乗ったのを襲うほど肝が据わってるんか?」 口に出して考えてみて、その可能性は相当に低いと考える。ハルケギニアでメイジと平民の戦力差と言えば、剣や槍だけで戦車と戦おうと言う事と同義語である。 ただ馬に乗ってるだけなら間違えて襲うかもしれないが、どう見ても見間違えの出来ないグリフォンが月明かりを浴びて空を飛んでいる。 あれに構わず襲い掛かるとなればよほどの自信があるか、それとも戦力差も理解できない本物の馬鹿か。むしろそれよりは、貴族派の手の者と言う可能性が高いだろう。 「まァあれじゃ、あいつらブッちめんとならんからな! ギーシュ、ワルキューレでまずあの炎を消すぞッ!」 「あ、ああ!」 ギーシュが慌てて薔薇を振ると、一枚の花弁が両手持ちの盾を掲げたワルキューレになる。 盾を持ったワルキューレが身を挺し、峡谷を照らし出す松明を消しに行くのを見届けながら、続いてもう一体のワルキューレを錬金する。 そのワルキューレは数日前にジョセフと相談の上でデザインされた、新たな形態のワルキューレ。 巨大なボーガンを捧げ持つように構える両腕を持ち、青銅の弾丸として取り外せる一個4キロ前後の球形で形成された胴体を持つワルキューレ。 ジョセフの求めた性能とギーシュの造詣センスが結実した、芸術的な兵器と称していい一品であった。 会心の出来とも言えるこのワルキューレを見上げ、ギーシュは満足げに頷いた。 「フフフフフ。名前を考えてきたんだ。このギーシュ・ド・グラモンがゴッドファーザーになってやるッ! そうだな……『トリステインに吹く旋風!』という意味の『ヌーベル・ワルキューレ』というのはどうかな!」 「フランス語かドイツ語かどっちかにせーよ」 ギーシュ特有の微妙なネーミングセンスに呆れながらも、腰に結わえ付けていた弦を伸ばし、ワルキューレの力を使ってボーガンに装着させる。 身を挺してワルキューレが松明の炎を消したのを見届けると、ジョセフはヌーベルワルキューレの胴体から弾丸を一つ取り、ボーガンに装填する。 人間の手ではとても弦を引くことすら出来ないボーガンも、ワルキューレの腕力を以ってすれば容易く引き絞ることが出来る。 ジョセフはワルキューレに支えさせたボーガンの狙いを定めると、月明かりの下で僅かに人影が動いた崖目掛けて引き金を引いた。 記念すべき最初の射撃は、僅かに狙いを逸らして賊の立つ足元の崖に命中したが、とても4キロの砲弾とは思えないほどの破壊力で崖を揺らす。 あまりの破壊力に、賊達が狼狽している様子が伝わってくるほどだ。 グリフォンを飛ばせているワルドも、ボーガンの射線からやや離れるように距離をとった。 「ほうほう、さすがは『青銅』のギーシュじゃな。破壊力はバツグンじゃッ!」 「あ、は、はははははっ! そ、そりゃそうさ! 僕の魔法とジョジョのアイディアが結実したヌーベル・ワルキューレならあのくらい出来なくちゃ困るからねっ!」 自分の予想を遥かに超えた破壊力に呆気にとられていたギーシュが、ジョセフの言葉に慌てて相槌を打つ。 まともに食らえば人間なら即死する威力を持つボーガンだが、それをガンダールヴであるジョセフが使えば立派な攻城兵器クラスの殺傷能力を持つことになる。 (それに錬金したばかりの金属は魔力の残りカスがこもっとるからなッ! 魔力に波紋を留まらせてブチ込めるから一石二鳥じゃわいッ) ギーシュとの決闘を経てから、様々な実験を繰り返して得た知識である。錬金した金属に波紋が留まるだけの魔力が残る時間はさほど長くはないが、短い時間だけでもいちいち油を塗らなくてもいいというのは大きなアドバンテージになる。 「うっしゃッ! んじゃさくさくっとやッちまうかッ!」 鴨が葱背負って罠にかかったと思っていた賊達も、鴨は自分達を殺しうる狩猟者らしいと気付いたらしく、慌てて一斉に矢を撃ち続けるが、反発する波紋を流され続けている馬は鏃さえ弾くほどの強固な壁としてジョセフとギーシュを保護する。 照準を修正して放たれた第二射も、賊の足元の崖を揺らすだけに終わった。 だがまるで大砲から放たれた砲弾のように地響きと土煙を巻き起こす砲弾は、命の危険を警告するには十分すぎる役割を果たした。 次には直撃するかもしれない、と恐怖を植えつけるのに十分すぎる光景を見た賊達は、命惜しさに一斉に遁走をかけようとした……が。 上空から大きな羽ばたきが聞こえ、その直後に巻き起こった竜巻の網にかかった賊達は、文字通りの一網打尽となって崖から叩き落された。 決して低くもない崖から地面に叩き付けられた賊達は今すぐ逃げ出すことも出来ないまま、痛みに呻くことしか出来なかった。 「風の魔法じゃないか」 グリフォンに跨ったままのワルドが感心したように呟けば、月をバックにして一頭の竜が街道へと降り立ってくる。 その姿を見たルイズは、驚きの声を上げた。 「シルフィード!」 ルイズの言う通り、それは確かにタバサの使い魔の風竜だった。 地面に降りたシルフィードの背から赤毛の少女が飛び降りると、ばさりと髪をかき上げた。 「はーい、お待たせー」 ルイズもグリフォンから飛び降りてから、キュルケに怒鳴りつけた。 「はーいお待たせーじゃないわよッ! 何しに来てんのよアンタッ!」 「助けに来て上げたんじゃないの。あんな朝早くから馬に乗って出かけようとしてるんだから、これはこの『微熱』のキュルケが助太刀に向かわなくちゃならない場面じゃない?」 シルフィードの上のタバサは、パジャマ姿にナイトキャップという出で立ちだった。 間違いなく無理矢理起こされて追い掛けさせられたのが明白な彼女は、それでも本に視線を落として読書に耽っていた。 「ツェルプストー、私達はお忍びでここに来てるのよ。そんな大きな竜なんか連れてこられたら意味ないじゃないッ!」 「だったら先にそう言いなさいよ。本当に気が利かないわねヴァリエール」 「言ったらお忍びの意味がないじゃないッ!」 「はいはい、そんなにきゃんきゃん鳴かないの。貴方達を襲った連中を捕まえたんだから、礼の一つや二つ言ってもらいたいものだわね?」 「別にアンタ達が来なくても私達だけで退治出来てたわよッ!」 二人の口論をよそに、地面に叩きつけられて身動きも取れない男達は一向に罵声を投げかけ続けている。 ギーシュはワルキューレを新たに用意し、男達に尋問を始めた。 「まあまあ、私達友達じゃない。苦しい時は互いに苦難を分かち合うものよ」 誰が友達よ、とわめくルイズをよそに、キュルケはグリフォンに跨ったままのワルドにじりじりと歩み寄っていく。 それからいつものように言い寄ろうとしたキュルケだったが、ワルドにけんもほろろに扱われ、しかもルイズの婚約者だということを知るとすぐさま興味を失って鼻を鳴らした。 (何よ、つまんない男ッ! 美女をあんな氷みたいな目で見るだなんて不躾だわッ!) 自分は不躾でないと自負するキュルケは、内心の思いをいちいち口に出しはしなかった。 それからジョセフの方を見ると、彼はすぐに視線に気付いてニカリと普段通りの笑みを見せて手を振った。 ワルドの冷たい目の後で、ジョセフのにこやかな笑みを受ければ普段の三割増くらいに眩く見える。 本当のダンディとはジョジョの事を言うのだわ、とキュルケは思い直した。 体付きだってたくましいしおひげもワイルドだしいい男だし。同じエッセンスだったら人間味のある方がいいに決まってるわッ! と、今度はジョセフに駆け寄って抱きついた。 「ああんごめんなさいダーリン、本当はダーリンに会いたくて駆け付けたの!」 「おおそうかそうか、二人とも来てくれて本当に助かったぞ」 むぎゅ、と豊満な乳房をジョセフの胸板に押し付けながら、横目でちらりとルイズを見る。 いつもならこの辺りで自分に怒鳴りつけてくるはずだが、ルイズは何か言いたそうな顔はしているものの、ワルドが肩に手を置いて留めている。 ちら、とジョセフの顔を伺えば、そんな様子の二人を見て実に不愉快そうな顔をしている。 これはヤキモチというヤツかしら? と思えば、ジョセフが年甲斐もなく漂わせたいじらしい雰囲気に、ときめいた胸に情熱の炎を燃え上がらせた。 かしましく騒ぐキュルケをよそに、男達を尋問していたギーシュが戻ってくる。 「子爵、あいつらはただの物取りだと言ってます」 「ふうむ。ならば捨て置こう、そんな些事にかかずらっている場合ではない」 二人のやり取りを聞いたジョセフは、突然腰を抑えて蹲った。 「あ、アイチチチチチッ! こ、腰がッ! やっべ、朝に打ったしさっきのアレで腰やッちまったかもしれんッ!」 「え!? ちょっと、大丈夫なのダーリン!」 「おい、どうしたんだいジョジョ!」 キュルケとギーシュが蹲ったジョセフに駆け寄るが、ジョセフは脂汗を浮かべながらも心配するなと言うように二人に手を翳した。 「あー、すまんすまん。ちっとここで休憩してから追いつくから、先に行っといてくれんか。なぁに、タバサの風竜に乗ればすぐ追いつくじゃろ」 シルフィードに乗って読書を続けていたタバサは、ジョセフの言葉にこくりと頷いた。 ワルドはジョセフの言葉に、ルイズとギーシュを見やる。 「ではラ・ロシェールで宿を取るから、キミは出来るだけ早く追いついてきてくれ。朝一番の便でアルビオンに渡る」 とジョセフに言い残し、心配げにおろおろするルイズを抱き抱えてグリフォンに乗った。 そしてギーシュも、やや心配そうにしながらもワルドの後ろについてラ・ロシェールへと走り出した。 そこに残ったジョセフとキュルケとタバサとシルフィードは、見る見るうちに夜闇に姿を消す一行の背を見送る。 時間を置かずに一行の姿が見えなくなった頃、ジョセフは何事もなく立ち上がった。 「え? ダーリン、腰はどうしたの?」 「あんなモン仮病じゃよ仮病。まさかあんなわざとらしい仮病に騙されてくれるとは思わんかったがな」 ジョセフが立ち上がったのを見ると、タバサは本から視線を上げた。 「メイジもいないのにあのように立ち向かう物取りは存在自体が不自然」 タバサの言葉に、ジョセフは我が意を得たりと頷き、キュルケも「そう言えばそうよね」と納得した。 「ギーシュはまあボンボンじゃからしょうがないかなとも思うんじゃが、ワルドがそれをあっさりと信じるっつーのも大概不自然じゃろ。しかも相手はグリフォンに乗っとるわけじゃからな。せめてグリフォンはスルーせんと死ぬじゃろ、高さのアドバンテージがなくなるしな」 じろり、と未だ動けないままの男達を眺めたジョセフは、帽子のつばを親指で押し上げる。 「なんか切り札でもあるんかと思ってたんじゃが、二発ほどボーガンをぶちこまれた辺りで逃げ出そうとしよったからな。切り札があるわけでもないのにわしらにケンカ売ってきた連中がただの物取りだなんて信じられるワケがない」 んんー、と大きく伸びをしたジョセフは、改めてデルフリンガーを抜いた。 「おいおい相棒、せっかくの俺っちをもうちょっと使ってくれよ。いくら温厚で知られる俺っちでもあんまり出番がないとスト起こすぜ?」 カラカラと笑うデルフリンガーを、ジョセフはニヤリと笑って曲げた指の背で叩いた。 「まあまあそういうな。ボーガンに番えられて空の散歩なんぞしたくないじゃろが」 「そいつぁ全くだな!」 剣を抜いたまま悠然と歩み寄ってくるジョセフに、男達はありったけの罵詈雑言を投げ付ける。 いくら武器があるとは言え、魔法のようなボーガンを持っていない図体のでかい老人など傭兵達にとっては脅威の対象に成り得ないのである。 「おっしゃ、もう一度聞くとしようか。お前ら本当に物取りか?」 「何度も同じこと言わせんなクソジジイ、俺達が物取りでなかったら何だって言うんだよ!」 紋切り型の憎まれ口にジョセフは頓着もせず、ハーミットパープルを一人の男に伸ばす。 するとデルフリンガーの鞘口から男の言葉が迸る。 「物取りがメイジにケンカ売るわきゃねーだろこのクソ貴族どもがッ!」 突然聞こえた仲間の告白に、男達が一斉に声の主を見るが、その男は顔面蒼白にして「言ってねェ! 俺はなんにも言ってねェぞ!?」と凄まじい勢いで首を振った。 「なるほど。ではなんでわしらを襲った?」 男はせめてもの抵抗とばかりに口を閉じるが、それは無駄な足掻きでしかなかった。 「美人の女メイジと仮面の男に依頼されたんだよ、馬に乗ったメイジどもがやってくるから襲って殺せってな!」 「ほーほーほーほー。そいつァ聞き捨てならん話じゃのー。他に何を依頼された? ついでに言っておくが、わしの魔法は人の心を読むことが出来るんじゃ。正直に言ったら命だけは助けてやってもいいかもなッ!」 そこからは傭兵達の大暴露大会となった。 この依頼をした女メイジと仮面の男の外見と特徴を逐一聞いた三人は、仮面はともかく女のほうはおそらくフーケだろうと目星を付けた。 死刑か遠島前提で牢獄に叩き込まれたはずのフーケがこんなに早く脱獄した事と、自分達がここに来ることを知った上で傭兵を雇ったという事は、王宮内に間諜が少なからずいる上、王女に近い筋にも入り込まれているということである。 「ねえダーリン、話には聞いてたけどトリステイン王宮ってかなり腐ってるわね」 「わしに言わんとってくれ、ついこないだここに来たばかりなんじゃから」 ゲルマニア出身のキュルケとイギリス出身のジョセフは呆れを隠そうともしなかった。 しかも雇い主は言い値で彼らを雇い、前金だけでもかなりの金額を受け取ったことを知ったジョセフは、迷惑料として傭兵達の有り金を全て分捕った。 傭兵達からあらかた事情聴取を終えたジョセフとキュルケは、暗澹たる現状に嘆息した。 「ねえダーリン、ここまで向こうに何もかもバレてるのってお忍びって言うの?」 「一般的には言わんよな」 この分だと、襲撃が失敗したのも向こうには筒抜けだろう。だが相手の心理を考えるに、二重の備えはしていないと踏む。 この峡谷の襲撃で確実に自分達を殺す為に戦力を集中させていただろう。そして向こうは、こちらを侮っていた。 メイジ達を襲撃するというのに、傭兵達だけで襲撃させたというのが何よりの証拠だ。 成功すれば儲けもの、失敗しても被害がない。 それ以上にジョセフの中では、心に根強く根付いていた疑念が確信の花を咲かせていた。 峡谷に弓を射掛けさせた依頼主……フーケはジョセフやルイズに怨恨があるのはどうあっても明白だ。 空を駆けるグリフォンより、峡谷で動きが制限されるジョセフの方が殺しやすいのは確かだ。 しかもグリフォンに乗っているのは風の魔法に長けたワルドである。傭兵が撃って来た矢など風が軽く撃ち落させるだろう。 だが矢が多ければ、竜巻を展開し損ねた、ということにして矢を防げなかったとしてもワルドに手落ちがあるということにはならない。平民が平民の矢で殺されたところで、問題になるはずがない。使い魔の力量不足、で終わる話である。 それがボーガンのあまりの威力で傭兵達が命惜しさに逃げ出そうとしたところを、更なるメイジの乱入でこんな結果になったという訳だ。 完全な証拠を見出した訳ではないが、ワルドが裏切り者でない可能性は非常に低い、とジョセフは踏んでいた。 もし自分やギーシュが乗馬に疲れて置いていかれれば、あの峡谷で待ち伏せした傭兵達に針鼠にさせられる計画が透けて見えた。 早馬で二日もかかる距離を一日で無理矢理踏破させたのは、ジョセフ達を疲れさせて置いてきぼりにしようとしたのではないか。 しかし二人が懸命についてきたから、傭兵達はグリフォンに乗ったメイジのいる一行を襲う物取りを演じなければならない、間抜けな大根役者になってしまった。 そう考えると辻褄が合う。 「キュルケ、タバサ。どうやらわしらは首根っこにナイフを突き付けられとるようだぞ」 ジョセフは肩を竦め、二人に向き直る。その身振りは「大人しくここで帰っとけ、後はわしが何とかする」と雄弁に語っていた。 だがキュルケもタバサも、帰ろうとする様子は全くなかった。 「何言ってるのよダーリン。こんなことくらいで帰るなら、フーケ討伐になんて付き合ったりしないわよ」 恐れも何もない目で、殊更妖艶に笑ってみせるキュルケ。 タバサもページに栞を挟んで、こくりと頷いた。 「それにダーリン、ツェルプストーの女は死地に向かう友人をハンカチ振って見送るだけの薄情者、だなんて醜聞を立てられちゃたまったものじゃないもの。私達は、ただ単に物見遊山でラ・ロシェールに行くだけ。 ゼロのルイズとそのお仲間が行く先がたまたま一緒だからって、私達が行き先を変える必要なんてどこにもありはしないわ。そうでしょう?」 ジョセフはキュルケの堂々たる宣言に、ヒュウと口笛を吹いた。 「キュルケもタバサも、二人ともホントーにいい女じゃな」 緩く腕組みして笑うジョセフに、キュルケは満足げに頷いた。 「それはそうよ、ツェルプストーの女はハルケギニア一の女だもの。タバサも私と同じくらいだけれど。ヴァリエールに飽きたら、いつでも私の胸に飛び込んできていいのよ」 両腕で両胸を挟み込んで、より胸の谷間を扇情的に主張する。 ジョセフは当然口元をいやらしく緩ませるが、ごほん、と大きく咳払いした。 「うちの主人が独り立ちするようになったら、考えさせてもらうわい」 「あんまり長くは待てないわよ」 冗談っぽくめかして、ジョセフとキュルケは馬に乗り、タバサはシルフィードに乗る。 出発する前にたっぷり波紋を流した馬は、勢いよく駆け出し、まだ身動きの取れない傭兵達の群れに突っ込み、哀れに命乞いする彼らを盛大に踏みにじってラ・ロシェールへ駆ける。 次に考えられる襲撃に備え、少しでも次に来る手勢を減らそうという腹である。次回の仕事どころか、これから傭兵稼業を再開するのも難しいのかもしれないが。 馬に乗る二人は必要以上に陽気に馬を走らせ、タバサは月明かりの下で読書を再開する。 三人の向かう先では、ラ・ロシェールが怪しく街の光を輝かせているように、見えた。 To Be Contined →